生徒と教師のあるべき関係

プロ教師の会ってあったなあ。

プロ教師の会 - Wikipedia

 そうかあ。「プロ教師の会」ってなくなっちゃったのか。 この会の発言には、全面的にではないものの、納得させられることが多かった。 その主張の一部は、記憶によるとおおよそこういうことだった。

 現在は、教師と生徒の間に主従関係が成立しなくなっている。
 確かに生徒より教師が「偉い」わけではないし、大学で就職できなかった最後の人間が教師という職を選んだりする場合も少なくないから、教師だけに何か過大な期待と責務を負わせるのはおかしい。
 ともかくも、昔は、親は「先生の言うことをききなさい」と子供を教育し、その蓄積で、「地域共同体」は教師の背中にあってバックアップし、教師は、『地域共同体の代弁者』として存在できた。
しかし、近年は地域共同体そのものが崩壊の一途を辿っているために、自分の人格だけで勝負せざるを得なくなっている。

教師と生徒とは、確かに対等といえば対等であろうけれども、しかし絶対的な対等の関係では、教師は掃除一つとっても生徒にやってもらえない。教師は教師を演じ、生徒は生徒を演じる、そのことによってはじめて学校という場が成り立つのだ。

 こういった切り口だった。
 今でも、説得力のある論だと感じるなあ。