日本で鯉放流が問題であるという事実がようやく大手マスコミで報道される

今日(2017/05/18)、フジテレビ『みんなのニュース』を見ていたら、「鯉、錦鯉の放流がなぜ駄目なことなのか」という特集を組んでいました。

毎年、鯉の記念放流をしている多くの地域の中のひとつである岐阜県高山市の地元の人のインタビューでは「いや、そんな悪いこととは思いませんけどねえ。目の保養にもなるし」と語る女性のコメントが放送されたのですが、そうではありません。「せいぜい目の保養『にしか』ならない」のです。

スタジオの人たちは「いやあ、びっくりしましたねえ」などと一様に驚いていましたが、こんなことは、生物の専門家でなくとも、(鯉釣り師はいざ知らず)釣り人たち(バサー含む)は、もう何十年も前から言挙げしてきたことです。

それを今になって、ようやく大手メディアが報道したのですが、正直、遅きに失した感が拭えません。それでも採り上げられたことには意味があるのですが……。

「鯉の記念放流なんて(ブラックバスなどとの相対比較としても)問題だ。ブラックバスのリリース禁止などに血道を上げて釣り人までをも叩き、もう一方で鯉の記念放流を『微笑ましい良いこと』と報道するなんて、無茶苦茶なダブルスタンダードだ。ダブルタング(二枚舌)だ」との批判は、ずーーーっと前から、私も含めて多くの「知っている人」が言ってきたことなのです。

『みんなのニュース』では、Mistirさんという方の以下のブログ記事も紹介していたようです。

錦鯉の放流は何故「絶対に」あってはならないのか

http://mistclast.hatenablog.com/entry/2017/05/03/132129

失礼ながら存じ上げなかったのですが、名文ですね。そのリンク先も含めて要点を押さえていて素晴らしいと思います。

鯉は、「最後に生き残るのは鯉」と言われるほど汚れた水質に強く、雑食性で、しかも水質を悪化させる外来種です。ブラックバスよりずっと危険だ、というのは、メディアでは扱われない、しかし、繰り返しますが、知っている人は知っている有名な話だったのです。

かつては「湖沼のギャング」と呼ばれ害魚扱いされ騒がれたものに、ライギョがありますが、皮肉なことに、「生物のことを考えない護岸のコンクリ化(水際域の破壊)」と水質悪化により、繁殖場所・生息場所が少なくなったため減少しているようです。本当のギャングは水質を悪化させ汚い水質でも生き残る鯉の方だったというと語弊があるでしょうか?


私が、Mistirさんと意見が異なるところがあるとすれば、私の場合は、元釣り人(諸事情がありやめました)視点から語るところでしょうか。

ですから、以下のようなエントリも以前に書きました。

魚に痛覚−それでも釣りは愛されるべきである。

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20120405/1333629033
※コメント欄も含めて読んでいただけたら幸いです。

それと、大手マスコミが必ず間違えて垂れ流している「外来種」という言葉についても、補足しておく必要があるかもしれません。

日本は、島国であることと、「外来語」=「外国から来た言葉」という用例があるので、海外の他国から移入された種を「外来種」だと思い込みがちで、大手メディアの報道番組などでも現在に至るまで、ずっとそうした使い方が為されているのですが、実はこれが違うのです。

実際には、「国内外来種」「国外外来種」という言葉があるのです。そして、大手メディアや多くの人が頭で想定している「外来種」とは、後者のみを指しているのですが、例えば、魚で言えば、その水系以外の場所から移入された種は、元々日本にいようがいまいが「外来魚」なのです。生態系について知っていればすぐわかることです。

でも、考えてみれば当たり前ですよね。人間以外の生物にとっては、「国境」なんて関係がないのですから。

そして、バイオダイバーシティー(生物多様性)の観点から言うならば、本来、琵琶湖の鮎種苗が全国で放流されていることも、イワナの移植放流も、「ブラックバスが云々」と言うならば、「本来は」問題とされなければなりません。「生物多様性」の中の「遺伝子の多様性」を毀損するからです。

(ついでに、ブラックバスに関連して言及しておくと、実は、ブラックバスよりもニジマスの方が魚食性が高いというのも芦ノ湖における調査で判明しているので、ブラックバスを言うなら、ニジマスについても同様の接し方が求められるはずなのですが……。)


最後に、ちゃぶ台返しのようなことを書きますが、私は、「国外外来種」の「存在」を「良しとするか悪しとするか」を江戸時代で人為的に線を引いていることにいまひとつ納得がいっていません。我々日本人の心の中の原風景と言える里山の自然なども、ほとんどが江戸時代より前ですが、いわば国外外来種により構成されているというのです。

倫理学の中に、「生命倫理学」や「環境倫理学」といった分野があるのですが、7人もの倫理学者が関わって編集された本「応用倫理学講義」(岩波書店)の「1 生命」の巻においては、例えば、P10 で、大阪大学大学院文学研究科教授・臨床哲学倫理学が専攻の中岡成文さんが、

 (前略)たとえば、在来種の保護という観点からは、和歌山で繁殖しつつある外来種のタイワンザルがニホンザルと混交することは由々しき事態で、混交を食い止めるためには前者を排除することも必要とされます。しかし、そもそもなぜタイワンザルは排除されなければならないのか。それは彼らが人間の手で日本に連れてこられ、動物園から逃げ出すなどした結果、繁殖し始め、生態系を攪乱しているからです。悪いのは、人為(生態系への人間の干渉)です。だから、「かりにタイワンザルが流木に乗って、自然に和歌山にたどり着いたのなら、それを排除はしない」と関係者は考えているようです。その場合にも早晩起こるであろうニホンザルとの混交は、人間は関与していないから、自然現象だということなのでしょう。
 しかし、この「自然」と「人為」の区別の仕方、あなたは納得するでしょうか。タイワンザルが流木に乗って来るのは自然で、動物園は人為? 人間が生態系や在来種を守ろうという姿勢自体、どう考えても人為であり、どう転んでも自然への干渉になると私は思います。アメリカのイエローストーン自然公園では、ときおり落雷などにより山火事が発生しますが、ある時期から山火事の鎮火をしなくなったそうです。それは、「山火事という出来事も自然のプロセスに含まれ、生態系の更新に一役買っているのだ」という発想が登場したからです。(後略)


といったことを書かれています。
アメリカのイエローストーンの事実関係がどうなっているのか、私は知りませんが、上記に対する賛否はともかく、自然科学と社会科学では、考える出発点や、優先される価値観、思考回路・経路が異なっている示唆だと私は感じました。

「証言UWF 最後の真実」1984年のUWFより正史たりうる

証言UWF 最後の真実

証言UWF 最後の真実



この本、正直、柳澤健1984年のUWF』より売れて欲しい、こちらが正史になって欲しい、と感じる出来の良さです。

一応、前田日明の証言がトップにありますが、他の多くの人物たちの証言と照らし合わせることが可能なので、証言が相殺でき、決して単なる「前田史観」に堕していないのもいいです。

佐山をアゲすぎることもなく、駄目なところもきっちり多くの証言者たちから聞き出しているのもいいです。

前田を祭り上げる「前田史観」にならず、佐山を神格化する「佐山史観」にもならず、おのおのの証言が重なり合い、実像が立体的に浮かび上がってきます。

神社長らフロントの件に関しても、尾崎さんがひとり柳澤本を踏襲するような証言をしていますが、他の人物たちから、UWF名義でマンションを2件買っていた、陰で隠れて云々という証言が続々と出てきます。

逆に言えば、柳澤さんの新生UWF経理状況というのは、尾崎さんひとりから辿り着いたものだったのではないかと感じるほどです。

いずれにせよ、その神新二さんも含めて、みんなが若かった……そのことがすごくわかる本です。

オススメです。

橋下徹氏vs小林よしのり氏、理は今回は小林さんに

小林よしのり
https://yoshinori-kobayashi.com/13038/

橋下羽鳥の番組はゲッペルスの作業だ

橋下羽鳥の番組を見たら、ものすごい編集の荒業が発揮されていて、橋下のヤバい意見が全てカットされ、それに突っ込むわしの意見もすべてカットされていた。

例えば、橋下は久間大臣の「原爆を落とされたのは仕方がない」という意見に同調し、「日本の政治家は原爆投下の米国の罪を延々と言い募るつもりか?外交上、仕方がないと思わなければならないのだ」と主張した。

それに対してわしは、原爆投下が虐殺だという感覚は、今の米国人はまだ戦争体験者がいるから認められないだろうが、次の若い世代になれば、原爆投下が人類の罪だったと認めるようになるはずだと主張した。
少なくとも日本人の方から、原爆投下は止むを得ないと考えてはならない。
それは国際法の進化に背を向けることになると、わしは主張した。
以上、ごっそりカットされていた。

さらに橋下は「戦争を起こした国の政治家は今もずっと反省しなければならない」と超自虐史観を述べた。

わしは驚いて、そんな馬鹿なことがあるかと反対した。
東条英機以下、東京裁判で裁かれて絞首刑になり、アジアの各地で1600人以上(これはわしの間違い。実際は1061人)の兵士が無茶な裁判で処刑されていったのだ。
なんで今の政治家や、将来の政治家まで延々と反省し続けなければならないのだと、わしは言った。

さらに戦争についての責任は、「戦争を起こした責任なのか、戦時国際法違反を冒した罪なのか、敗戦した責任なのか」という分類がある。
一概に戦争の責任を問うことなどできないということをわしは説明した。
これもカットされていた。
あの場にいた三浦瑠麗氏や他の政治家たちも聞いていたはずだ。

そしてわしはあまりに橋下の言うことがデタラメなので、「この人間が国政に復帰したら危ない」と本人の前で述べた。
これには三浦瑠麗氏が「私もそれは小林さんの言う通りだと思う」と援護していた。

わしは橋下羽鳥の番組に出ると、ヒヤヒヤする。
あまりに無茶苦茶な意見を橋下が言うからだ。

橋下の意見はやけに政治家寄りで、マスコミや評論家を馬鹿にする。
さらに安倍政権寄りで、その政策を庇うようなことばかり言う。
それを聞いているとムカムカしてくる。
橋下に会ったことがないときよりも、会ってからの方が印象が悪くなった。

番組の前日にディレクターがわしの意見を電話で詳細に聞いて、それをパソコンで文章化し、橋下に読ませているのも変だと思う。
そのような事前検閲的なことを他の出演者にも行っているのか?わしだけか?

事前に知らされた情報では、橋下が「女は子供を産む機械」という意見まで庇っていたことを知り、わしはそこは徹底的に批判するからと伝えたのだが、収録当日には、政治家の失言から外されていた。
わしと真っ向対立になるのを避けているようだ。
おそらく「自由貿易か、保護主義か」で一対一の対決をやった時の敗北が尾を引いているのだろう。

やっぱり討論番組は「ナマ」でなければダメだ。
「編集」で印象操作してしまうのはダメだ。
田原総一朗の「朝まで生テレビ」がいかに際どいことをやっていたのかが分かった。
クロスファイア」も、収録した翌日に放送されたが、ほとんど生放送同然だった。

発言者の印象が操作できない「ナマ」の危険さは、司会の田原氏が望まぬアンケート結果が出たりもする。
北朝鮮を武力攻撃すべし」が一番多くなったりして、田原氏が「今の時代はこうなんだ」と嘆いていたが、それが生放送のスリルなのだ。

橋下羽鳥の番組は、まるでヒトラーを神格化するゲッベルスの仕事のようだ。
あの編集の技が上手いということは褒めておく。
だが、橋下をヒトラーに育て上げる危険性に気づくべきだ。
このような番組に出ることは、わしの良心が疼くので、もう出ない。


 橋下徹
https://mobile.twitter.com/t_ishin/status/861784288261398528

@t_ishin
 やっぱり小林よしのりはバカだった。人の話を理解する能力が欠如しているし自分が絶対的に正しいと勘違いしている。日本の戦争を自衛戦争だと完全に正当化してアメリカの原爆投下だけを非難する矛盾に気付かない。為政者は両行為について反省し、国民は和解するという俺のロジックが理解できない。

https://mobile.twitter.com/t_ishin/status/861786079505956864

@t_ishin
 小林よしのりのくその役にも立たない抽象論を持ち上げている連中がいるのが不思議だ。小林は現実の政治の悩みなどを全く気にしない無邪気な乳幼児のよう。番組で憲法論をはじめ現実の政治を少しは教えてやろう思ったがもう出演しないだって。自分を持ち上げてくれる現実知らずのお友達と仲良くやってろ

私は、小林さんとも橋下さんとも意見が異なりますが、これは、橋下さんが酷いですね。無茶苦茶です。
橋下さん周りでは、いつか見た光景……というか、いつも見る光景(笑)ですが、単なる罵詈雑言にしかなっていないです。論点をすっとばして「バカ」と言い募っています。逐次反論しない時点で負けを認めたと同じことです。

私の場合、小林さんともちょっと違って、先の戦争は、徹頭徹尾日本の自衛戦争だったとは考えていません。
日本の自衛戦争だった側面と侵略戦争だった側面、両方の側面があったと考えています。
重慶爆撃など議論を呼んでいる論点もあります。
むしろ、日本は、遅れてきた帝国主義――まだ侵略戦争や植民地を持つことが「完全悪」とされていなかった時代に、欧米より一足遅く帝国主義に踏み込んできた極東の国だと思っています。
その植民地統治の仕方が優れていた、とか、欧米の植民地と違って良いことをいっぱいした、ということとは別に、論理として、確かに「侵略」と言われても仕方の無い側面があったのだ、という認識です。しかし、それが「完全悪」という時代では無かった、ということです。

以前のエントリにも少し書きました。

TVタックルからあの戦争を。田母神俊雄の考え方の矛盾に理路を通す―西部邁流に

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20140520/1400579900


アメリカによる広島・長崎への原爆投下や東京大空襲等々は、非戦闘員の大虐殺です。当時においても国際法違反でしたし、許すべからざる種類のものでした。それは、日本の真珠湾攻撃などとは比べるべくもありません。

だからといって、例えば中国や韓国が日本に対してやっているように、何度も何度も大声で謝罪を要求する、などという無粋なことを言いたいわけではありません。
そんなことはすべきではないと思っています。
ただ、西部邁さん流に言えば、我々日本人ひとりひとりが胸の中でそのことをしっかり確認しておくことが重要なのだと思っています。

「少なくとも日本人の方から、原爆投下は止むを得ないと考えてはならない」、小林さんの言う通りだと思います。

「戦争責任」の分類なども、小林さんは正しいことを言っていると思います。

また、橋下さんは、度々、「抽象論」を「抽象論に過ぎない」として全否定してみせますが、これは、「抽象論」の重要性をわかっていないとしか言いようがありません。

「抽象」の次元で物事を把握できない人は、単なる「現実『主義』者」に堕するからです。
「理想を抱くこと」は間違いではないけれども「理想『主義』」が間違っているように、「現実を見ること」は間違いではないけれども「現実『主義』」は間違いなのです。

どちらかの「主義」に堕することは、どちらかを見えなくしてしまうのです。

小林さんは小林さんで、ちょっと前はこの番組絶賛して、「朝生」に批判的だったので、それについては「どっち?」と思ってしまいますけれども(笑)。

柳澤健『1984年のUWF』ゴン格を読んでの改めての異議

……を『ゴング格闘技』を読んだら書いてやろうと長文記事をある程度準備していたのですが、柳澤さん、平直行さん、安生さんのインタビューを続けて読んだら、「もういいかな」という心境に(笑)。
いや多少、ツッコミたいところは、まだまだまだまだ『1984年のUWF』にはあるんですけどね。
でも、柳澤さんの言いたいことも分かったというか、そこを平さんなんかがフォローしてくれているし、「いいかな」と。

以前の私のエントリは、↓です。

柳澤健1984年のUWF』の読後感想。私的な体験と異議

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20170205/1486304739

ただ、上記エントリに書き忘れたことで言っておくことがあるとすると、私は佐山聡の天才的な身体能力に魅せられて、導かれ、「このジャンル」を好きになった者ですが、この佐山推し、というか佐山推しすぎ(苦笑)は明らかに行き過ぎかなというのはまだ思います。

そもそも、あれほどの天才性を有していたとはいえ、あの、デビュー間もない山本宜久にガチンコで負けた西良典さん相手に(ギありのエキシビジョンとはいいながらも)↓

https://youtu.be/Kn-XjHQrLCs?t=517

投げられ投げられ投げられ、腕十字を極められ、まったく良いところ無し、というのも佐山聡の実像の「ひとつ」です。

もう蹴りひとつ取っても(田村潔司の完璧な蹴りに比べても)何世代も時代遅れの軽い蹴りしか出せなくなっています。
旧UWFの例の佐山聡vs前田日明戦での佐山の蹴りはやはり本気だったんだな、と推測できるものでもありました。

本書では、そういう佐山聡像は全く描かれていません。真逆を行っています。

とにもかくにも、本書はとことん「佐山史観」です。

ちょっとだけぶっちゃければ、世の中を前田史観が覆っているから第三者佐山聡に成り代わって佐山版『パワー・オブ・ドリーム』を書くという佐山史観に振れるのではなく、両者のバランスを絶妙に取って、平衡棒を持ってサーカスのごとき綱渡りを、柳澤さんには完遂していただきたかったかな、と。

それと、改めて書きますが、前田日明については、前田の性格・言動からして、否定されるのは仕方のないことだと思いますし、ごくごく自然なことですけれども、ただ『1984年のUWF』で、前田日明を繰り返し「プロレスラー失格」「プロレスラーとして最悪」とお書きになり、前田日明の悪行悪徳を列挙しているわけですが、その悪徳に数え上げたのが、

前田日明vsダッチ・マンテル戦

「観客を喜ばせることよりも、むしろ自分を強く見せることに夢中になっていた」(本書の地の文)

前田日明vsダッチ・マンテル戦なんですが、動画がありました。
http://fightingview.blog.fc2.com/blog-entry-525.html

改めて見ましたが……。……。……。
どう見ても「普通のプロレス」です。極々普通の、至極普通のプロレスです。前田日明がシュートらしき仕掛けた場面というのは一切ないです。皆無です。ニールキックの踝が顔に当たったのは確かですが、それだけ、本当にそれだけのことです。
新日U業務提携時代の越中に対しての方が前田日明の当たりは余程強烈でした。
ダッチ・マンテルが自伝の為に後知恵で盛って、柳澤さんがそれに騙された(そして見誤った?)としか思えません。本当にそうなのです。

前田日明vsアンドレ

これについては前エントリで書いた通りです。

それと、アンドレ戦などについて、本書では前田を繰り返し責めていますが、例えば、アンドレ戦について言えば、アンドレの方から仕掛けたことは本書でも書かれていることです。それをマスクド・スーパースターのコメントなどを取り上げて、前田の悪徳に置き換えるのはないだろう、と。

※【追記】Number連載時には、「マスクド・スーパースターはアンドレが前田を制裁しようと試みたことに触れていない。前田はアンドレの制裁を実力で撃退したのだ」との一文が添えられていたそうですが、単行本で何故かカットされていたそうです。柳澤さんの「プロレスラー失格」「プロレスラーとして最悪」の前田日明というストーリーラインに合わなかったからカットしたのでしょうか?

前田日明vs藤波辰巳

これについてもツイートした通りです。

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。UWF新日提携時代の前田日明vs藤波辰巳。前田がニールキックで藤波を怪我させて悪いというニュアンスですがVTRをよく見てください。これじゃ肩に当たると思った藤波が自分から頭に当てに言ってますから(苦笑)。 #1984年のUWF

前田日明vs田村潔司

これについても動画(http://www.nicovideo.jp/watch/sm3261790)を見ればわかるとおり、最初に田村の方がガチの掌底を打って行っています。試合後の前田日明のコメントに「やらなきゃ俺がやられていた。それぐらい良い選手」とコメントしていた通りだったと言ってもいいかなとは思います。

と、本書で前田日明の悪徳とされた試合をひとつひとつ見ていくと、あれあれ、それらは霧散して、残るのは、長州蹴撃事件ひとつになってしまうではありませんか。
長州への蹴りについて言えば、VTRを見ると確かに前田の言う通り、事前に肩を触って合図はしているもののいかんせん蹴りが強すぎたと思っています。これは、明らかに前田日明が悪いと思いますね。

そして、『ゴング格闘技』に、前田日明所英男を指導しているのを載せるのは如何なものか? 的な話がありましたけど、それはそうは思わないんですね。

それは、上記エントリにも書いた通り、宮田和幸や吉永啓之輔の証言が信頼できるからです。

それと、本書では、『フルコンタクトKARATE』誌が第二次UWF批判に転じた後の佐山の証言の引用が多いですが、佐山は同誌で、「第二次UWFのルールで真剣やったら死人が出ますよ」「仮に真剣やったとしてもプロレスラー程度の真剣勝負が格闘技と呼べるものであるはずがない」(大意)という主旨の発言をしていましたが、後には以下のような証言もしているのです。

昔の新日「プロレス」と「ガチンコ」「セメント」

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20100127/1264581309

kamipro 2010年143号より抜粋。

佐山聡初代タイガーマスク)インタビュー
(前略)
タイガー そうですね。やはりガチンコをベースにして、その中から生まれたバリエーションなんですよ。僕はプロレスに対して、そういう教育を受けてきましたからね。(略)
――新人時代、プロレスとはどんなものだと教えられたんですか?
タイガー プロレス自体は変わらないですよ。基礎運動とゴッチ式のセメントだけ。
――その中で、自分なりに考えていくわけですか。
タイガー デビューまでの一年弱は、試合のことなんて考えてないで、セメントばっかりで。(略)
――いわゆる格闘家が考える「プロレス」と、当時の新日本のレスラーが考えていた「プロレス」には大きな違いがある、と。
タイガー 全然違うものですよ。だから、僕らがやっていた試合は極め合い主体で、レスリングの動きの中でお客さんを沸かせなきゃいけなかったから。(略)
――それぐらい練習量や、やっている内容に誇りがあったわけですよね。
タイガー そうでしょうね。やはり100キロを超える人間たちがそんなことを毎日やってるわけだから、それなりに実力もあったと思います。
――その道場では、当時道場破りなんかもあったわけですよね?
タイガー ありましたね。藤原さんが相手したり、僕もやったし。僕は相手の腕を折っちゃったけど。(略)
――でも、本気になれば折れる技術と胆力はあった、と。
タイガー そんなのは当然ありますよ。いまの総合の選手たちだってそうでしょ?
(後略)

そして、前田日明もまた道場破りの相手をしたことは、『1984年のUWF』の中でも明言されています。

また、藤原や木戸や前田が佐山に反発したのは、佐山の決めた「ルールそれ自体」というよりも、むしろその「独断専行」性の方にこそあったと思っています。藤原が当時「佐山が道場に来ていればなあ(通っていればなあ)」と言ったのもそういう意思疎通の問題だったことの証左です。

それと、ターザン山本はちょっとお金せびったくらいで云々というお話がありましたが、それには異議ありです。はっきり言って彼は、金のために筆を曲げた人です。(『「金権編集長」 ザンゲ録』ご参照のこと)

最後に、書くと、

「プロレスは相手をねじふせ、はわせることを忘れてしまい近頃はダンスやファッションショーにまでなりさがっている」

これは、誰の言葉だと考えますか?

これを前田日明の発言だと捉えれば、「自分たちだってプロレスをやっていたくせに」と怒る人が多いでしょう。

まあそうなりますよね。安生の言っている通りです。

しかし、これは、本書に引用されている、旧Uの試合を「見るに値する試合だった」と褒めた一方で、他プロレスを批判したゴッチその人の言葉なのです。

つまり、前田日明のあれやこれやの言葉は、ゴッチ信仰(と昔の新日信仰)から来ていて、薫陶を受けた通りの発言してきたことがわかるでしょう。

あとは、まあ色々と他にもたくさんタマを用意していたんですが、もういいかな(笑)という心境になったので、やめておきます。

柳澤健さん、労作、お疲れ様でした<(_ _)>。

【追記】柳澤健氏への精緻な異議申し立て

柳澤健1984年のUWF」について
http://www7a.biglobe.ne.jp/~wwd/PW170410/

【追記】柳澤健氏への精緻な異議申し立て2

1984年のUWF』はサイテーの本!■「斎藤文彦
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1244660

【追記】ブッカーKの異論

証言・「1988年の新生UWF」(前篇)あの時代の熱狂は、本物だった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51392

【追記】ブッカーKの異論

証言・「1988年の新生UWF」(後篇)あの時代の熱狂は、本物だった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51393

【追記】金原弘光の重要な証言

1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1247650

柳澤健『1984年のUWF』の読後感想。私的な体験と異議

さて、『1984年のUWF』です。著者・柳澤健さんには、この労作を仕上げたことにまずは敬意を表したいと思います。

1984年のUWF

1984年のUWF

新しい情報、知見がそこここに見られ、その労については素直に賛辞を送らなければならないでしょう。

ですが、賞賛の声は多いと思いますので、ここでは、敢えて本書を読んで疑義を感じた部分を中心に書いてみたいと思います。

そもそもの立脚点として、著者が「前田日明嫌い」ということはないでしょうか?
嫌いなのは、前田の性格・言動からして、仕方のないことだと思います。というよりごくごく自然なことです。

もっとも、その「性格」が故に、高田延彦率いるUWFインターが新日にカムバックしてすぐ、新日色に染められていったのとは対称的に、旧UWF勢が、新日という大海に完全には没することなくリアルに不協和音すら流れかねない魅惑の新日提携時代があったのであり、そこにこそ、ガキんちょだった僕は惹かれたのです。


しかし、まず、確実に言えるのは、本書では、ターザン山本氏と骨法への過大評価が過ぎるということです。
ペテン師が山師を胸を張って論難するのを採用するのには、違和を感じざるを得ません。

そして、図抜けた素晴らしい批判的考察を『1984年のUWF』の連載中に、本書の情報提供者の一人でもあられる、ふるきちさんがされているので、先に以下のあたりをお読みください。

前田対ニールセン30周年をふるきちが語る。

http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20161008/p1

1984年のUWF」で行われた時間的情報操作について。

http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20161022/p1

1984年のUWF」フロント偏重視点への疑問。

http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20161120/p1

ついでに、多少の関係はある昔の私の拙稿をつまんでふたつだけ……

昔の新日「プロレス」と「ガチンコ」「セメント」

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20100127/1264581309

「ついで」は置いておくとして、このふるきちさんのブログの中のharuka23さんという方のコメントが、まさに私の言いたいことと見事に重なっていたのでした。

「ボク結構見に行ってますが前田を応援しに行ったのであって佐山の作ったフレームを見に行ったわけでは無いですもん」

実際のところ、私の格闘技的なるものへの興味は、幼少時代の初代タイガーマスク(佐山聡)がはじまりで、子供心に、猪木や、とりわけ藤波や坂口や木村健吾の試合はつまらないなあ、と感じていて、しょっちゅう他のチャンネルに変えてしまったりしていましたが、初代タイガーマスクがいなくなって、ザ・コブラが出てきたときには落胆したのを覚えています。藤波については、長州力との絡みが面白いと思うようになりました。

しかし、旧UWFについては、なにせガキだったもので、よくわからずに時々テレビ東京で特集していたのを観た記憶があるくらいです。司会は岸部四郎だったかな?
私が、俄然、格闘技的なるものにハマったのは、まさに、カムバック・サーモン、「新日U業務提携時代」だったのです。

前田日明が、藤原戦後の猪木に放った、前田のキャリアを通しても、その中で一番と思えるハイキックが、私を虜にしたと言ってもいいでしょう。
週刊ゴング」に掲載された写真で分かるのですが、爪先立ちの軸足が見事に返った、本気で蹴ったんじゃないかと思えるようなハイでした。

私が、本格的にUWFに傾倒することになったのはそれからです。
というより、はっきり言って、第二次UWFの試合より、この業務提携時代の試合の方が、リアルな緊張が流れる瞬間を感じて好きでした。

その後、第二次UWFが旗揚げされることになるわけです。当時、ブック云々について詳細は知りませんでしたが、ガキながら、「これは(いわゆる)プロレス」、「これは(相撲界で生まれた)ガチンコ(英語で言うところのシュート、日本プロレス界でガチンコと共に併用されているところのセメント」)という区別は私自身タイムリーに「かなり」正確にできていました。

わずかに後から観ていた旧UWFの試合と第二次UWFの試合を比べてみると、かなりスタイルが違いました。本書では、夢枕獏さんの『猛き風に告げよ』からの引用が多いですが、その少し後、夢枕獏さんは、第二次UWF全盛時に、「旧UWFのスタイルの方が好きだった」と関東ローカルの深夜番組『プレステージ』という討論番組で明言していましたね。第二次UWFは、後楽園ホール以外は閑古鳥が鳴いていた旧UWFでの反省を踏まえて、より客受けするスタイルを新日業務提携時代に確立し、それをそのまま持ってきましたから、より、いわゆるプロレス的な文脈に沿った試合をしていました。

とはいえ、私は当時は、まだ前田日明vsドン中矢ニールセンはガチンコだったと思っていました。ですから、「きっちり」正確にではないのですが、第二次Uの旗揚げ戦を観て、タイムリーに、「ああ、(いわゆる)プロレスだな」と分かり、観戦した大道塾東孝氏のコメントも「正確に」理解しましたし、前田日明vsゴルドー戦を観ても「ああ、プロレスだな。ニールセン戦みたいな緊張感に溢れた試合はやっぱりああいう状況じゃないと観られないのかなあ」と思いながら観たのを覚えています。この私の認識が決して後付けでないことは、ここでは書きませんが、客観的な当時の証拠もありますので、自信を持って事実だ、と言い切れます。

前田vsニールセン戦について言えば、前田がガチンコだったと今でも主張しているのはさて置いても、ニールセンの方も、後年のインタビューで、「アーリーノックアウトは駄目だと言われた」としながらも、自ら「(新日での)藤原戦、山田恵一戦はビジネスファイトだったが、前田との試合は違う」「(フェイクだと言う人間がいるなら=永田)ぶん殴ってやる」という主旨の発言をはっきりとしていました。おそらく、日本で長く名試合と語り継がれていることがニールセンにとってもある種の「誇り」となっていたのでしょう。だから、そういうコメントに繋がったのだとは思います。思いますがしかし、そこの後段のニュアンスをばっさり切るというのは、物書きとしての仁義に悖るのではないでしょうか?

「ばっさり切る」ということで言えば、第二次UWF入り直前の船木のインタビューin週刊プロレスについてもそうです。
本書では触れられていませんが、その当時の船木は、なにもガチンコをやりたがっていたわけではなく、「Uスタイルとルチャ・リブレの融合したスタイルが僕の理想ですね」と語っていたのです。後の『格闘技通信』で、船木が「自分たちで教科書が作れると思ってUに入ったが、Uでは既に教科書が出来ていた」と語っていましたが、別にそれはガチンコ志向の表明ではなかったのです。

船木の掌底も、何も骨法で学んだから素晴らしかったのではなく、ボクシングのトレーニングと身体能力の賜物だったでしょう。ペチペチ掌打はどこでもお呼びではなかったのです。元々が、「喧嘩で拳を使うと殴った側の拳を痛める」という理由から生まれた骨法の掌打ですが、ボディまで掌底で打つことに一体なんの理があったのでしょうか。

ついでに言えば、ゴルドーのコメントもあんまりで、相手が殴って来ないで、こちらからだけ一方的に顔面パンチを打てて、ロープエスケープも許されているというルールで試合をやることを念頭にあれはないだろう、と思いました。

それと、アンドレ戦などについて、本書では前田を繰り返し責めていますが、例えば、アンドレ戦について言えば、アンドレの方から仕掛けたことは本書でも書かれていることです。それをマスクド・スーパースターのコメントなどを取り上げて、前田の悪徳に置き換えるのはないだろう、と。

ここでひとつ、疑問を投げかけたいと思います。
旧UWFで行われた例の佐山聡vs前田日明
佐山聡が本気で、Uでガチをやりたかったのなら、佐山が決めたルール内ガチを仕掛けてきた前田日明に対し、明らかに試合を終わらせるための方便であった急所攻撃アピールで試合を終わらせるのではなく、とことん、思う存分、真っ向から受けて立って、前田と決着がつくまで試合を続ければ良かったのです。
私が観たところ、両者ともバテバテで、後半はぐだぐだでしたが、本書に描かれた通りならば、それが佐山の本望であったはずなのです。

リングスの「実験リーグ」について触れられていないことも気になりました。

パンクラス旗揚げが、1993年9月。第1回UFCが1993年11月。
それに対し、基本的に全ガチのリングス後楽園実験リーグの第1回が行われたのが、1993年2月28日です。「実験」と名付けて全ガチの興行を小会場で行った、というのは、前田日明の中にも、「本物のガチ志向」があった、ということを現わしています。

もっとも、前田日明のそれは、「急進主義」の佐山聡とは対照的に、あくまで「漸進主義」的なものでした。自分の世代でのガチ化は考えていなかったでしょう。ですが、「格闘技」のガワだけ借りて「プロレス」の興行をやり続けることだけが、前田を動かしている原動力ではなかったということです。そうであれば、ガチ試合なんて組む理由が無かったのですから。

もっと言えば、第二次UWF以降、例えば(越中のライバルだったという印象の強かった)「ジュニアヘビーの高田延彦」の格を前田に伍するくらいまで引っ張り上げるなど、他の選手の貫目を上げるためだけ、と言って差し支えのない「プロレス」を展開したのが前田日明だったのです。

そして、前田日明は、前十字靱帯と後十字靱帯を切った時点で、(本人は「看板」だと思っていたでしょうが)悪い表現を使えば「客寄せパンダ」であることを余儀なくされたのです。

しかし、U系全般に言えることですが、その素晴らしかったところは、本書で触れられていた新日道場の在り方をもっともっと発展させて、ムエタイの先生を常時道場に置き、サンボやアマレスの先生を繰り返し招聘し、門下の選手たちに「格闘技で強くなるためだけの練習」を出来るような環境を構築したことでしょう。そこに、ポジショニングの概念が大幅に欠けていたのは、パウンドというものを想定外にしていたためですが、それは時代性もあって無理な注文というべきでしょう。そして、その辺についての本書の中での中井裕樹さんの考察は正しい……。

それと、旧UWF旗揚げに猪木が関与していなかったという本書における記述ですが、これはどうなのでしょうか?

蝶野が明かす「旅館丸ごと破壊」の真実(東スポWeb) - Yahoo!ニュース
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170127/p3
ここで、グリフォンさんがスポットを当てている部分とは別の部分をフィーチャーしてみると、

蝶野「そうこうしてるうちに前田さんが猪木さんにカラんで号泣。「あんたが先に行っとけっていうから行って待ってたんじゃないかぁ」って。UWFのヒミツの話だな。猪木さん、周囲の目を気にして完全にキョドってた…」

うーん。本書の記述と矛盾しますね。


本書の記述と食い違う、ということで言えば、こういうこともあるようです。

https://twitter.com/sencha_man/status/826085217072852993

せんちゃまん ‏@sencha_man 1月30日

2014年発行のムック「俺たちのプロレス UWFあの頃と今」で@booker_k 氏は「神社長や鈴木専務の給料はどんどん上がって前田さんより高給取りになっていた。僕らの給料の10倍です(笑)」とコメントしているが、 #1984年のUWF では当時飛んだ「噂やデマ」という扱い……


……と、色々と書いてしまいましたが、私は、本書の中では、平直行の証言に一番共鳴できました。

それと、本書を「佐山史観」と表現している人を見かけましたが、「なるほど」と感じました。

「最初に総合格闘技を考えたのは俺」と言っている藤原喜明史観も良し、佐山史観もあまりに片隅に追いやられていた感が強いので、あってももちろん良し、という感じです。

これが完全に「正史」になってしまうのには、ちょっと抵抗がありますが……。

ケチばかりつけましたが、まあとにもかくにも、本書は、一読の価値あり、ということは間違いないですね。

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。本書で触れられているパンクラス旗揚げが、1993年9月。第1回UFCが1993年11月。それに対し基本全ガチのリングス後楽園実験リーグの第1回が行われたのが、1993年2月28日。しかし実験リーグについては本書では触れられていない。 #1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。前田が連れてきた人は税理士でもない資格の無い人だった、とあるけれど弁護士も連れてきたとも書いてある。弁護士は税理士業をできる、資格を持った人です(苦笑)。#1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。ここで個人的にはっきりとはじめて確認できたのは、藤原喜明に限らず前田日明高田延彦もやはり道場破りの相手をした、と明言されていたことだ。 #1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。佐山聡VSマーク・コステロの佐山の技術に対する評価と前田日明VSニールセン戦の前田の技術に対する評価の描写に温度差。勿論前者がシュートだということはわかるけれど、同程度にパンチの防御に問題があるのに明らかに思い入れに差がありすぎるとも。#1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。UWF新日提携時代の前田日明vs藤波辰巳。前田がニールキックで藤波を怪我させて悪いというニュアンスですがVTRをよく見てください。これじゃ肩に当たると思った藤波が自分から頭に当てに言ってますから(苦笑)。 #1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。中井裕樹さんが、第二次UWFのキャメルクラッチを観るまでUWFを真剣勝負だと思っていたというのが俄には信じられない。彼より年少の僕は第二次UWFの旗揚げ戦を観て「あ、プロレスだな」と分かり大道塾東孝氏のコメントも正確に理解できていたからだ。 #1984年のUWF

【追記】

そうそう。忘れてましたが、前田日明VSアンドレ戦は、北海道地区でテレビ放映されたんですよ。

【追記】柳澤健1984年のUWF』ゴン格を読んでの改めての異議

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20170224/1487935546

お笑いで天下を獲るということ−ビートたけし、ダウンタウンの境界を巡って

表題は敢えてそうしたのですが、正確に言えば「お笑いで天下を獲る」というより「芸能界で天下を獲る」とはどういうことか? になるでしょう。

哀川翔さんがテレビで語っていたのですが、ビートたけしさんがテレビ界に燦然と君臨し始めたころ、一世風靡セピアに所属していた哀川翔さんは「テレビでこんなこと言えちゃう人がいるんだと思ってびっくりして慌ててたけしさんのところに挨拶に行ったの。そうしたら、たけしさんが楽屋から出てきてくれて、『天下獲っちゃいなよ。萩本さんも俺も何も言われないよ』と言われて感動して……」というエピソードを語っていました。

そう。まず、萩本欽一さんは、確実に「天下を獲っていた」時期がありました。
そして、ビートたけしさんは、萩本欽一さん(や自分)が天下を獲っている、と判断していたということでしょう。

萩本欽一さん、欽ちゃんは、「視聴率100%男」と言われた人でした。

欽ドン』『欽どこ』『週刊欽曜日』の3番組の合計視聴率が100%を超えるということで命名された異名です。

テレビプロデューサーの土屋敏男さんだったと思いましたが、「これがどれほど凄いことか。たまに若い放送作家で、自分の書いた番組の視聴率を全部合計すれば100%行く、などと馬鹿なことを言っている人もいたが、そういうことではないのである。調べたわけではないが、ビートたけしさんの『元気が出るテレビ』などをやっていた時期の視聴率を全部足しても100%に届かなかったのではないか?」と仰っていました。


それほど、萩本欽一さんの天下取りは凄かったのです。

ただ、ちょっと異論があるのは、ビートたけしさんも、「視聴率100%男」だったのではないか? ということです。

「俺たちひょうきん族」 1981年5月16日から1989年10月14日
「天才たけしの元気が出るテレビ」 1985年4月14日から1996年10月6日
ビートたけしのスポーツ大将」 1985年4月16日から1990年2月27日
世界まるごとHOWマッチ」 1983年4月7日から1990年4月5日
風雲たけし城」 1986年5月2日から1989年4月14日
平成教育委員会」 1991年10月19日から1997年9月27日
「たけしのここだけの話」 1988年10月2日から1990年9月30日

THE MANZAI 1980年から1982年)

たけしさんは、ざっと並べただけでも、これだけの週一番組を持っていたのです。「たけしのここだけの話」は、プライムタイム放送の30分番組でしたが、いずれにしても、それを除けば、最高視聴率は軽く25%を超えていたでしょう。

まさに、「天下を獲っている」と言って間違いのない獅子奮迅の活躍でした。時代の寵児です。

ちなみに、ラジオでは、「ビートたけしオールナイトニッポン」も1981年1月1日から1990年12月27日までニッポン放送で放送され、その聴取率は、奇跡的な数字だったそうです。

ここで、「それなら『天下を獲る』というのは、持っている番組の数と視聴率から導き出されるのか?」と考えると、微妙な問題に立ち至ります。

ビートたけし以後です。

明石家さんまさんは、年齢差はあるもののたけしさんと同時代に同じく天下を獲っていて(結婚していた時期に「つまらなくなった」と言われていたことはありましたが)いまだに輝き続けていると言えると思いますが、「たけしさん以後」というのは、「さんまさん以後」でもあります。

ずばり言うと、「ダウンタウン」は、果たして「天下を獲ったのか?」という問題が浮上するのです。

個人的には、DTは好きで、結構番組も拝見しています。浜田さん司会の「プレバト」の俳句査定コーナーなど録画してでも見ているくらいですし、松本さんのボケなども未だに「ダウンタウンDX」「ダウンタウンなう」「水曜日のダウンタウン」などで錆び付いていません。

しかし、同じ時期に冠番組の高視聴率番組をたくさん抱えていたか? といえば、そうではないのです。

ごっつええ感じ」が、たけしさんの「元気が出るテレビ」末期をおびやかし、終わらせ、高視聴率を誇ったことはありますが、後は、「ガキの使いやあらへんで」くらいだったのではないでしょうか。こちらは当初、関東ローカルでした。そして関西ローカルでは「4時ですよーだ」が爆発的人気でしたが、時期がずれます。「生生生生ダウンタウン」などは、たけしさんの「笑ってポン」なみに壮絶にこけました。

このくらいの活躍度は、実は、とんねるずもしていたのです。「みなさんのおかげです」「ねるとん紅鯨団」「夕焼けニャンニャン」「生でダラダラいかせて」等々……。

ただ、松本さんの著書がミリオンセラーになり、浜田さんの歌がミリオンセラーになった、ということがあります。しかし、これもとんねるずも、出す歌出す歌大ヒット、という時期がありましたから、決め手に欠けます。

影響度ではどうでしょう。

たけしさん出現後、フォロワーの芸人たちが雨後の筍のようにわんさと出てきたように、松本さん以後にも、その影響を存分に受けた芸人たちが(「シュール」「お笑い偏差値」を勘違いした人も含め)沢山、現れました。今、テレビで活躍している中堅どころの芸人たちの多くがそうでしょう。

結局は、漠然とした「影響度」「カリスマ性」で量るしかないのでしょうか。
あるいは、ダウンタウンは天下を獲ったとは言えないのでしょうか。

今や、「テレビの時代」は終焉し、視聴率は二桁いけば上々、という時代になりました。
以後、「天下を獲った」と言われる人は、もう出てこないのではないか、とも感じます。

テレビ出演本数で言えば、有吉弘行さんや、(芸人ではないですが)マツコ・デラックスさんや坂上忍さんが相当な数出ていますが、「天下を獲る」とはまた違います。(坂上忍さんは「面白いMC役」を俳優として演じている説、というのが持論であるのですが、それはまた別の機会に)

他にも、その時々の人気タレントたちが出演本数を競っていますが、これもまるで明後日の話です。

とりあえず、ここまで書いて投げっぱなしで一旦、筆を折り、続きはいつか書きたいと思います(笑)。

関連エントリ

「お笑い偏差値」という言葉への疑義

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20070619/1216431166

「土人」も「支那」も言葉自体は差別ではないということ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161108-00000066-mai-pol

<沖縄「土人」発言>鶴保担当相「差別とは断定できない」

参院内閣委 「言論の自由はどなたにもある」とも

 鶴保庸介沖縄・北方担当相は8日の参院内閣委員会で、沖縄県の米軍北部訓練場の工事反対派に大阪府警の機動隊員が「土人」と発言した問題について、「『土人である』と言うことが差別であるとは断定できない」と述べた。共産党の田村智子氏への答弁。

 鶴保氏は「人権問題であるかどうかの問題で、第三者が一方的に決めつけるのは非常に危険だ。言論の自由はどなたにもある」と発言。田村氏は「差別的な侮蔑用語以外に使われた例を聞いたことがない」と批判したが、「現在、差別用語とされるものであっても過去に流布していたものが歴史的にはたくさんある」などと反論した。【野原大輔】


こういう話があったようですが、鶴保氏がいかなる人物か私は詳しくありません。

しかしながら、今回のこの機動隊員の発言問題について言えば、土人」という言葉に、「彼」は少なくとも「罵倒」の意味は込めたでしょう。それは間違いありません。

しかし、そうした発言者の意図、受け手の意識とは関わりなく、本来は「土人」という言葉の字義には差別的意味はありません。

土人」は、もともとは、「土着の人」という意味でのみ使われていたのであって、だからこそ、アイヌの関係でも「土人保護法」という法律名が付いていたのです。

土人」と言われて想起されがちな、「槍かなにかを持って裸も同然の格好をしていて……」というイメージは、言葉遣い上の読み手の間違いだったのです。

今では、辞書にも、2項目あたりに「原始生活をして」云々という風に載せているものもありますが、これは誤用が広まった結果の「妥協の産物」なのです。

支那」も同様なのですが、このあたりは、かつての呉智英夫子読者なら先刻承知のところでしょう。