「土人」も「支那」も言葉自体は差別ではないということ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161108-00000066-mai-pol

<沖縄「土人」発言>鶴保担当相「差別とは断定できない」

参院内閣委 「言論の自由はどなたにもある」とも

 鶴保庸介沖縄・北方担当相は8日の参院内閣委員会で、沖縄県の米軍北部訓練場の工事反対派に大阪府警の機動隊員が「土人」と発言した問題について、「『土人である』と言うことが差別であるとは断定できない」と述べた。共産党の田村智子氏への答弁。

 鶴保氏は「人権問題であるかどうかの問題で、第三者が一方的に決めつけるのは非常に危険だ。言論の自由はどなたにもある」と発言。田村氏は「差別的な侮蔑用語以外に使われた例を聞いたことがない」と批判したが、「現在、差別用語とされるものであっても過去に流布していたものが歴史的にはたくさんある」などと反論した。【野原大輔】


こういう話があったようですが、鶴保氏がいかなる人物か私は詳しくありません。

しかしながら、今回のこの機動隊員の発言問題について言えば、土人」という言葉に、「彼」は少なくとも「罵倒」の意味は込めたでしょう。それは間違いありません。

しかし、そうした発言者の意図、受け手の意識とは関わりなく、本来は「土人」という言葉の字義には差別的意味はありません。

土人」は、もともとは、「土着の人」という意味でのみ使われていたのであって、だからこそ、アイヌの関係でも「土人保護法」という法律名が付いていたのです。

土人」と言われて想起されがちな、「槍かなにかを持って裸も同然の格好をしていて……」というイメージは、言葉遣い上の読み手の間違いだったのです。

今では、辞書にも、2項目あたりに「原始生活をして」云々という風に載せているものもありますが、これは誤用が広まった結果の「妥協の産物」なのです。

支那」も同様なのですが、このあたりは、かつての呉智英夫子読者なら先刻承知のところでしょう。