柳澤健『1984年のUWF』の読後感想。私的な体験と異議

さて、『1984年のUWF』です。著者・柳澤健さんには、この労作を仕上げたことにまずは敬意を表したいと思います。

1984年のUWF

1984年のUWF

新しい情報、知見がそこここに見られ、その労については素直に賛辞を送らなければならないでしょう。

ですが、賞賛の声は多いと思いますので、ここでは、敢えて本書を読んで疑義を感じた部分を中心に書いてみたいと思います。

そもそもの立脚点として、著者が「前田日明嫌い」ということはないでしょうか?
嫌いなのは、前田の性格・言動からして、仕方のないことだと思います。というよりごくごく自然なことです。

もっとも、その「性格」が故に、高田延彦率いるUWFインターが新日にカムバックしてすぐ、新日色に染められていったのとは対称的に、旧UWF勢が、新日という大海に完全には没することなくリアルに不協和音すら流れかねない魅惑の新日提携時代があったのであり、そこにこそ、ガキんちょだった僕は惹かれたのです。


しかし、まず、確実に言えるのは、本書では、ターザン山本氏と骨法への過大評価が過ぎるということです。
ペテン師が山師を胸を張って論難するのを採用するのには、違和を感じざるを得ません。

そして、図抜けた素晴らしい批判的考察を『1984年のUWF』の連載中に、本書の情報提供者の一人でもあられる、ふるきちさんがされているので、先に以下のあたりをお読みください。

前田対ニールセン30周年をふるきちが語る。

http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20161008/p1

1984年のUWF」で行われた時間的情報操作について。

http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20161022/p1

1984年のUWF」フロント偏重視点への疑問。

http://d.hatena.ne.jp/fullkichi1964/20161120/p1

ついでに、多少の関係はある昔の私の拙稿をつまんでふたつだけ……

昔の新日「プロレス」と「ガチンコ」「セメント」

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20100127/1264581309

「ついで」は置いておくとして、このふるきちさんのブログの中のharuka23さんという方のコメントが、まさに私の言いたいことと見事に重なっていたのでした。

「ボク結構見に行ってますが前田を応援しに行ったのであって佐山の作ったフレームを見に行ったわけでは無いですもん」

実際のところ、私の格闘技的なるものへの興味は、幼少時代の初代タイガーマスク(佐山聡)がはじまりで、子供心に、猪木や、とりわけ藤波や坂口や木村健吾の試合はつまらないなあ、と感じていて、しょっちゅう他のチャンネルに変えてしまったりしていましたが、初代タイガーマスクがいなくなって、ザ・コブラが出てきたときには落胆したのを覚えています。藤波については、長州力との絡みが面白いと思うようになりました。

しかし、旧UWFについては、なにせガキだったもので、よくわからずに時々テレビ東京で特集していたのを観た記憶があるくらいです。司会は岸部四郎だったかな?
私が、俄然、格闘技的なるものにハマったのは、まさに、カムバック・サーモン、「新日U業務提携時代」だったのです。

前田日明が、藤原戦後の猪木に放った、前田のキャリアを通しても、その中で一番と思えるハイキックが、私を虜にしたと言ってもいいでしょう。
週刊ゴング」に掲載された写真で分かるのですが、爪先立ちの軸足が見事に返った、本気で蹴ったんじゃないかと思えるようなハイでした。

私が、本格的にUWFに傾倒することになったのはそれからです。
というより、はっきり言って、第二次UWFの試合より、この業務提携時代の試合の方が、リアルな緊張が流れる瞬間を感じて好きでした。

その後、第二次UWFが旗揚げされることになるわけです。当時、ブック云々について詳細は知りませんでしたが、ガキながら、「これは(いわゆる)プロレス」、「これは(相撲界で生まれた)ガチンコ(英語で言うところのシュート、日本プロレス界でガチンコと共に併用されているところのセメント」)という区別は私自身タイムリーに「かなり」正確にできていました。

わずかに後から観ていた旧UWFの試合と第二次UWFの試合を比べてみると、かなりスタイルが違いました。本書では、夢枕獏さんの『猛き風に告げよ』からの引用が多いですが、その少し後、夢枕獏さんは、第二次UWF全盛時に、「旧UWFのスタイルの方が好きだった」と関東ローカルの深夜番組『プレステージ』という討論番組で明言していましたね。第二次UWFは、後楽園ホール以外は閑古鳥が鳴いていた旧UWFでの反省を踏まえて、より客受けするスタイルを新日業務提携時代に確立し、それをそのまま持ってきましたから、より、いわゆるプロレス的な文脈に沿った試合をしていました。

とはいえ、私は当時は、まだ前田日明vsドン中矢ニールセンはガチンコだったと思っていました。ですから、「きっちり」正確にではないのですが、第二次Uの旗揚げ戦を観て、タイムリーに、「ああ、(いわゆる)プロレスだな」と分かり、観戦した大道塾東孝氏のコメントも「正確に」理解しましたし、前田日明vsゴルドー戦を観ても「ああ、プロレスだな。ニールセン戦みたいな緊張感に溢れた試合はやっぱりああいう状況じゃないと観られないのかなあ」と思いながら観たのを覚えています。この私の認識が決して後付けでないことは、ここでは書きませんが、客観的な当時の証拠もありますので、自信を持って事実だ、と言い切れます。

前田vsニールセン戦について言えば、前田がガチンコだったと今でも主張しているのはさて置いても、ニールセンの方も、後年のインタビューで、「アーリーノックアウトは駄目だと言われた」としながらも、自ら「(新日での)藤原戦、山田恵一戦はビジネスファイトだったが、前田との試合は違う」「(フェイクだと言う人間がいるなら=永田)ぶん殴ってやる」という主旨の発言をはっきりとしていました。おそらく、日本で長く名試合と語り継がれていることがニールセンにとってもある種の「誇り」となっていたのでしょう。だから、そういうコメントに繋がったのだとは思います。思いますがしかし、そこの後段のニュアンスをばっさり切るというのは、物書きとしての仁義に悖るのではないでしょうか?

「ばっさり切る」ということで言えば、第二次UWF入り直前の船木のインタビューin週刊プロレスについてもそうです。
本書では触れられていませんが、その当時の船木は、なにもガチンコをやりたがっていたわけではなく、「Uスタイルとルチャ・リブレの融合したスタイルが僕の理想ですね」と語っていたのです。後の『格闘技通信』で、船木が「自分たちで教科書が作れると思ってUに入ったが、Uでは既に教科書が出来ていた」と語っていましたが、別にそれはガチンコ志向の表明ではなかったのです。

船木の掌底も、何も骨法で学んだから素晴らしかったのではなく、ボクシングのトレーニングと身体能力の賜物だったでしょう。ペチペチ掌打はどこでもお呼びではなかったのです。元々が、「喧嘩で拳を使うと殴った側の拳を痛める」という理由から生まれた骨法の掌打ですが、ボディまで掌底で打つことに一体なんの理があったのでしょうか。

ついでに言えば、ゴルドーのコメントもあんまりで、相手が殴って来ないで、こちらからだけ一方的に顔面パンチを打てて、ロープエスケープも許されているというルールで試合をやることを念頭にあれはないだろう、と思いました。

それと、アンドレ戦などについて、本書では前田を繰り返し責めていますが、例えば、アンドレ戦について言えば、アンドレの方から仕掛けたことは本書でも書かれていることです。それをマスクド・スーパースターのコメントなどを取り上げて、前田の悪徳に置き換えるのはないだろう、と。

ここでひとつ、疑問を投げかけたいと思います。
旧UWFで行われた例の佐山聡vs前田日明
佐山聡が本気で、Uでガチをやりたかったのなら、佐山が決めたルール内ガチを仕掛けてきた前田日明に対し、明らかに試合を終わらせるための方便であった急所攻撃アピールで試合を終わらせるのではなく、とことん、思う存分、真っ向から受けて立って、前田と決着がつくまで試合を続ければ良かったのです。
私が観たところ、両者ともバテバテで、後半はぐだぐだでしたが、本書に描かれた通りならば、それが佐山の本望であったはずなのです。

リングスの「実験リーグ」について触れられていないことも気になりました。

パンクラス旗揚げが、1993年9月。第1回UFCが1993年11月。
それに対し、基本的に全ガチのリングス後楽園実験リーグの第1回が行われたのが、1993年2月28日です。「実験」と名付けて全ガチの興行を小会場で行った、というのは、前田日明の中にも、「本物のガチ志向」があった、ということを現わしています。

もっとも、前田日明のそれは、「急進主義」の佐山聡とは対照的に、あくまで「漸進主義」的なものでした。自分の世代でのガチ化は考えていなかったでしょう。ですが、「格闘技」のガワだけ借りて「プロレス」の興行をやり続けることだけが、前田を動かしている原動力ではなかったということです。そうであれば、ガチ試合なんて組む理由が無かったのですから。

もっと言えば、第二次UWF以降、例えば(越中のライバルだったという印象の強かった)「ジュニアヘビーの高田延彦」の格を前田に伍するくらいまで引っ張り上げるなど、他の選手の貫目を上げるためだけ、と言って差し支えのない「プロレス」を展開したのが前田日明だったのです。

そして、前田日明は、前十字靱帯と後十字靱帯を切った時点で、(本人は「看板」だと思っていたでしょうが)悪い表現を使えば「客寄せパンダ」であることを余儀なくされたのです。

しかし、U系全般に言えることですが、その素晴らしかったところは、本書で触れられていた新日道場の在り方をもっともっと発展させて、ムエタイの先生を常時道場に置き、サンボやアマレスの先生を繰り返し招聘し、門下の選手たちに「格闘技で強くなるためだけの練習」を出来るような環境を構築したことでしょう。そこに、ポジショニングの概念が大幅に欠けていたのは、パウンドというものを想定外にしていたためですが、それは時代性もあって無理な注文というべきでしょう。そして、その辺についての本書の中での中井裕樹さんの考察は正しい……。

それと、旧UWF旗揚げに猪木が関与していなかったという本書における記述ですが、これはどうなのでしょうか?

蝶野が明かす「旅館丸ごと破壊」の真実(東スポWeb) - Yahoo!ニュース
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170127/p3
ここで、グリフォンさんがスポットを当てている部分とは別の部分をフィーチャーしてみると、

蝶野「そうこうしてるうちに前田さんが猪木さんにカラんで号泣。「あんたが先に行っとけっていうから行って待ってたんじゃないかぁ」って。UWFのヒミツの話だな。猪木さん、周囲の目を気にして完全にキョドってた…」

うーん。本書の記述と矛盾しますね。


本書の記述と食い違う、ということで言えば、こういうこともあるようです。

https://twitter.com/sencha_man/status/826085217072852993

せんちゃまん ‏@sencha_man 1月30日

2014年発行のムック「俺たちのプロレス UWFあの頃と今」で@booker_k 氏は「神社長や鈴木専務の給料はどんどん上がって前田さんより高給取りになっていた。僕らの給料の10倍です(笑)」とコメントしているが、 #1984年のUWF では当時飛んだ「噂やデマ」という扱い……


……と、色々と書いてしまいましたが、私は、本書の中では、平直行の証言に一番共鳴できました。

それと、本書を「佐山史観」と表現している人を見かけましたが、「なるほど」と感じました。

「最初に総合格闘技を考えたのは俺」と言っている藤原喜明史観も良し、佐山史観もあまりに片隅に追いやられていた感が強いので、あってももちろん良し、という感じです。

これが完全に「正史」になってしまうのには、ちょっと抵抗がありますが……。

ケチばかりつけましたが、まあとにもかくにも、本書は、一読の価値あり、ということは間違いないですね。

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。本書で触れられているパンクラス旗揚げが、1993年9月。第1回UFCが1993年11月。それに対し基本全ガチのリングス後楽園実験リーグの第1回が行われたのが、1993年2月28日。しかし実験リーグについては本書では触れられていない。 #1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。前田が連れてきた人は税理士でもない資格の無い人だった、とあるけれど弁護士も連れてきたとも書いてある。弁護士は税理士業をできる、資格を持った人です(苦笑)。#1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。ここで個人的にはっきりとはじめて確認できたのは、藤原喜明に限らず前田日明高田延彦もやはり道場破りの相手をした、と明言されていたことだ。 #1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。佐山聡VSマーク・コステロの佐山の技術に対する評価と前田日明VSニールセン戦の前田の技術に対する評価の描写に温度差。勿論前者がシュートだということはわかるけれど、同程度にパンチの防御に問題があるのに明らかに思い入れに差がありすぎるとも。#1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。UWF新日提携時代の前田日明vs藤波辰巳。前田がニールキックで藤波を怪我させて悪いというニュアンスですがVTRをよく見てください。これじゃ肩に当たると思った藤波が自分から頭に当てに言ってますから(苦笑)。 #1984年のUWF

万次 ‏@manji_ex001 2月3日

読書中。中井裕樹さんが、第二次UWFのキャメルクラッチを観るまでUWFを真剣勝負だと思っていたというのが俄には信じられない。彼より年少の僕は第二次UWFの旗揚げ戦を観て「あ、プロレスだな」と分かり大道塾東孝氏のコメントも正確に理解できていたからだ。 #1984年のUWF

【追記】

そうそう。忘れてましたが、前田日明VSアンドレ戦は、北海道地区でテレビ放映されたんですよ。

【追記】柳澤健1984年のUWF』ゴン格を読んでの改めての異議

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20170224/1487935546