西部邁先生に言上したきことあり? 施光恒さん登場の西部邁ゼミナール

施光恒さんの著書が発売されました。『英語化は愚民化』

購入したものの藤井聡さんの『超インフラ論』を先に読んだのと積ん読本が溜まっているのに加えて、色々と忙しくてまだ読めていないんですが――以前、三橋貴明さんのメルマガで配信された内容に準じているとすれば全面的に正しいものなのでしょう――二週にわたって、その施光恒さんを招いて、西部邁さんの『西部邁ゼミナール』で、その著書にまつわる話のあれやこれやのやりとりが展開されました。

西部さんは、健康がすぐれないようで、とても心配してしまうのですが、「施さんのお話は全ておっしゃるとおりなんですが……」と繰り返し仰りながらも、正直、一週目は特に機嫌が悪かった(笑)。その機嫌が悪かった理由は2週目の最後で(嘘かまことか)語られたのですがちょっと最近の西部さんのやさぐれ感が気になっています。

昔の西部さんは、現代日本人の過半を批判し否定しながらも、ここまでではなかったのです。

やはり、先日のエントリ

西部邁、奮励の書『生と死、その非凡なる平凡』

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20150501/1430473531

で絶賛のレビューを書きましたが、奥様を亡くされたこととご自身の年齢、健康状態も相俟って、諦念を強く強くしているのでしょう。西部さんの著書に『ニヒリズムを超えて』という書名のものがありますが、ここ最近の西部さんは、虚無をまとっていると感じてしまいます。

もっとも、現在の日本の状況で虚無感を感じる方が余程、健全・健康だとも思うんですけれども(苦笑)。

ただ、その西部邁さんの一週目の最後の方の以下のような会話には、「半ば」疑問を感じてしまいました。

「下手な英語であろうとも――アメリカ人の教授だって専門以外のことはなんにも知らないんだから――酒でも呑みながらうまく歴史とはなんぞや文化とはなんぞやと、うまく会話の中に紛らわせて、うわっこの日本人、英語は下手だけれども、ものすごく色んなことを巧みにしゃべって、歴史から国家から哲学から、料理のことに至るまでうまくしゃべるな、と。英語で外国人をたぶらかせてしまうっていうそういう手もあるわけですよ……」
(字句は不正確)

……うーん、西部先生は、間接民主制が直接民主制より優れているとされている点について、何度も何度もあちこちで様々な観点から発言・執筆されてこられました。
マニフェスト選挙」が盛り上がった折にも、その迷妄について幾度も発言されました。
そのごく一部を記憶のままに書けばこうなります。

「なんとかの政策のなにの何%が正しいのか、そんなこと、私だって、魚屋さんだって八百屋さんだって、サラリーマンだって、主婦だって、仕事に忙しいから、はっきり言ってそんなこと知ったこっちゃないわけですよ。だから、投票の際には、公約をいくらか斟酌しつつ、政治家の『人間性』『人品骨柄』をある程度見定めて、『まあ、この人に任せておけば大きな間違いはしでかさないであろう』と選ぶのが、本来あるべき『間接民主制』なんです。選挙で何%かという次元まで決めてしまうなら、なんのために『議会』があるんですか?」

そう、一般人は「忙しい」のです。
その意味で、「酒場でネイティブな英語を話す外国人言い負かすぐらいの英語力」を一般人に求めるのは無理というものでごじゃりまする、西部先生。

ただ、それは「半ば」だと書いたのは、自分は英語が話せるように書けるようになりたい、というのがホンネにあるからなのですね(苦笑)。

あれだけ受験勉強で苦労して覚えたはずの英語の単語やら文法やらをすっかり忘れてしまってひどく後悔している昨今なのです。

自分を棚に上げれば、上記のように西部先生に言上したくなるのですが、それはご都合主義で、自分自身を騙しているなあ、と。

だから「言上したきことあり??」とはてなマークを付けざるを得ないのです。

ともかく、施光恒先生にはお気の毒でしたが、2週目で西部さんの意見もよく理解できたし、施さんとの違いは「愚民化」か「超愚民化」かの違いだとわかったので良かったです(笑)。

で、日本人はとうに「愚民化」している、というお話にひっかけて言えば、だいぶ前の話ですが、個人的には現状、最後に観たチャンネル桜の討論で「日本人の良いところ」という論点で、西部さんが、佐藤健志さんの「福田恆存が言った『信』」以外のすべてに駄目出しされていたんですが、私がその討論に出ていたらこう言っただろうというのがありまして、それはこういうことです。

「日本的経営」――たまさかうまくいっていたほんの一時期の徒花みたいなもので、そんなものは日本の伝統でもなんでもない、という人がいそうですが、「日本型経営」は、日本人が昔から育んできた「組織作りの巧みさ」といった「伝統精神」が根底に流れているものだった、それは日本人の美点のひとつに数えられて良いだろう。

……何故、こう答えただろうと思ったかと言いますと、昔、こういう風なことを西部さんがおっしゃっていたからです(笑)。賛成を得られただろうと思うし、そこから、有意義な討論が広がっていった可能性はあったのではないかと。

ともかく、今の西部邁さんが絶望されている現状、なにからなにまで絶望的なのは確かなのですが、西部さんがお元気なうちに一筋でも光明を………………無理ですかね……。