中野剛志さんらを励ます師 西部邁さん。

この度、西部邁さんが日本の保守思想家について綴った「思想史の相貌」が改題され、「日本の保守思想」として出版されました。

西部邁さんの著作の中における重要度においては、欧米の保守思想あるいは、それに連なる思想家たちについてお書きになった「思想の英雄たち」の方が高いと思いますが、本書も埋もれたままにするのは惜しい著作であり、両方を立て続けに文庫化復刊してくれたハルキ文庫は、賞賛されて然るべきだと思います。

この「日本の保守思想」の文庫版あとがきが、中野剛志さんら後進を育て鼓舞し続ける現在の西部邁さんの心境がよく現されており、非常に味わい深い文章になっています。

思想の英雄たち―保守の源流をたずねて (角川春樹事務所 ハルキ文庫)

思想の英雄たち―保守の源流をたずねて (角川春樹事務所 ハルキ文庫)

日本の保守思想 (ハルキ文庫 に 1-6)

日本の保守思想 (ハルキ文庫 に 1-6)

「日本の保守思想」文庫版あとがき

 札幌郊外にあった信濃小学校の校長先生が、毎春の卒業式と入学式で、「月日の経つのは速いものです」と挨拶していた。子だくさんゆえに毎年のようにそれに出席しなければならなかった小生の母親が「毎年同じ話、少しは話し方を変えられないものかねえ」と不満を漏らしていた。敗戦後、食糧難をはじめとする社会不安が日本列島を覆っていた五、六年間のことである。

 小生、この春で干支が六回りし、それが高齢の前期なのか中期なのか後期なのかも定かならぬままに、やはり「月日の経つのは速いものです」と述懐せずにはおれない。とくにここ五年ばかり妻への看病が少しずつ板についてきて、いつのまにか「妻に鍼灸をやっているのがやけに面白いので、ほかのことがすべてつまらなくなった」と呟く自分に気づく、といった始末である。そうなるについては、何を考えても何を書いても、何十年も前に自分の頭の隅なり指の先なりに巡ったことの繰り返しと思われてならない、という事情もある。約すれば、TOKYO MXの「西部邁ゼミナール」という番組と『表現者』という雑誌の顧問役とにおいて、「若いモンを励ます」以外に小生のやるべきこともやれることもなくなった、そう思われてならない次第なのだ。私の思想談義であれ時局放談であれ、みな「優秀な若者に“君は優秀だ”といってやらなくて何の年寄りか」という判断に立ってのことである。そんな年寄りになることなど、七十の坂を超えるまでチラとも想像しなかった。今は、齢をとることに悲喜こもごもの感懐を味わっているさなか、といったところか。

 そんな折に、角川春樹事務所の原知子さんが、二十一年も前に出版された拙著『思想史の相貌』を文庫にしないか、といって下さった。二十四年前に評論家という者になったのだから、おそらく「餌にとびつかざるをえない人生段階」であればこそ「餌代なんか要るものか」といった意気地で書いた、といった代物なのであろう。読み返してみて修正してみたくなった箇所が一つもなかったのは、小生の評論に進歩というものがまったくなかった証なのか、それとも小生が揺るがぬ根本感情で評論にとりかかったことの現れなのか、またしても悲喜こもごもの感想にとらわれもする。が、いずれにせよ、評論への評論は読者のやることで、評論家は首を洗ってじっとしているしかない。いや、どこぞの若者がこの文庫本で少しは励まされる、という可能性がないともかぎらないと思うことにして、そんな仮想を抱かされてくれた原知子さんに、「こんな爺さんを励ましてくれて実に有り難い、今時にはめったにみられない敬老の振る舞いです」と御礼を申し上げることにする。

 なお、原知子さんが本書のタイトルを(原題の「思想史の相貌」から)『日本の保守思想』として下さったことについて、一言なかりせばと思う。本書は日本の保守思想の「全貌」について語ったものではない。日本の保守思想の流れにあって、言論界から少々目立つ誤解を受けていると思われてならない作家や作品について、私なりの批評を加えてみたら本書が出来上がったということだとお考えいただきたい。

平成二十四年三月十五日  西部邁