保守からの「八紘一宇」誤謬論・西部邁、佐藤健志両氏から
私は、佐藤健志さんの来歴・経歴については詳しくはありませんが、氏の『新訳 フランス革命の省察―「保守主義の父」かく語りき』は名訳でした――といっても英語にはろくに詳しくないので「読みやすかった」という意味において、ですが(笑)。
また、BSフジの『プライムニュース』における古市さん退治も見事でした(笑)。
『震災ゴジラ』も早く読まなくちゃ、という感じです。
その佐藤健志さんが、ブログを開始され、最近のエントリで、「八紘一宇」という概念は間違いだった旨、中野剛志さんの新著『世界を戦争に導くグローバリズム』の書評に絡めて、縷々語られています。
グローバリズムと疫病根絶
保守とはチクリと見つけたり
まったくの正論だと、私は思います。
そして、(前述の通り、私は佐藤健志さんについてあまり詳しくありませんが)優れた保守思想家は、同じような結論に至るのだなあ、という感を強くしました。(『震災ゴジラ』もまだ読んでいないくらいなのであくまでこの件を読んでのものですが……)
というのも、私は、西部邁さんから、もうずっと昔に同じ結論に辿り着いた言葉を聞いていたからなのです。
2004年自民党のど真ん中で西部邁は何を語ったか。
http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20080720/1216531458
長大ですが、自民党のHPからは削除されて久しいので、この機会にすべて読んでいただいて損はない! と断言できます(笑)。
とはいえ、長大なので、今回のエントリの前置きとして必要な部分をここにちょっとだけ抜粋しますと、
この前のテロリズム、9.11テロのことを言えば、少しこれは単純化のしすぎですけれども、要するに近代主義、モダニズムというのは、自由・平等・博愛といった軽はずみなものにそろそろ世界に普遍的な価値だというふうに思いがちの傾きを指す。つまり、モダニズムというのは、ユニバーサリズム、不変主義である。この不変主義をかざしている国はどこか。アメリカだから、ユニバーサリズムは、おおよそイコール、アメリカニズムである。アメリカニズムとは何か。アメリカ的な価値なり、やり方を世界に押しつけようとする意味でのグローバリズムである。
グローバリズムというのは、ほかの国々の歴史を破壊するわけだから、当然のことながら、国の歴史を破壊されれば、そこで虚無主義、ニヒリズムがほかの国々にわだかまってくる。したがって、グローバリズムはほかの国にとっていえば虚無主義、ニヒリズムの台頭である。そして、人間はニヒリズムに耐えられないので、ほぼ必ずや価値の原点を探し求めて、いわゆるファンダメンタリズムへと回帰するであろう。しかしながら、ファンダメンタリズムは、バイブルであろうが、コーランであろうが、そう簡単に現実化できませんから、この理想と現実のギャップの中で、ファンダメンタリズムは、必ずテロリズムへと近づいていくであろう。
だから、あえて一直線にいえば、モダニズムがユニバーサリズムであり、ユニバーサリズムがアメリカニズムであり、アメリカニズムがグローバリズムであり、グローバリズムが要するにニヒリズムをもたらし、ニヒリズムがテロリズムをもたらすという脈絡で考えれば、あの9.11テロその他のものは、アメリカが自分たちで結局は招いたものだ。それをどう表現するかは、また政治の問題ですから大変難しいと思いますが、そんなことは私に言わせれば常識として押さえておかなければならないのに、アメリカ人が押さえられないのはいた仕方ありませんが、日本人までもがそれに引きずり込まれていくというのはとんでもないことだと実は思っておりました。
(注:不変主義→普遍主義)
その上で、西部邁さんは、別のところで、以下のような「八紘一宇」否定論を展開されています。記憶に頼って端折って書きますが、曰く、
「八紘一宇」はおおよそ間違った概念だった。現代世界を席巻しているグローバリズムがイコール「アメリカニズム」であるとするなら、大東亜・太平洋戦争における「八紘一宇」は、「ジャパニズム」という「日本式グローバリズム」に他ならなかった。アジア各国の国柄・伝統を無視する形で日本式・日本型の文化を押し付けることになる概念だったのだから……。
念のため記しておくと、だからあの戦争は大間違いだったんだ! などということは、西部さんはおっしゃっていません。
それについては、以下のエントリをご覧になってみていただければと思います。