松本人志と駄目おすぎ氏

  • 1.おすぎ氏

 私はお笑い芸人ダウンタウンファンです。オタでも信者でも、もちろんアンチでもありません。
 「ダウンタウンDX」や「リンカーン」や「すべらない話」や「ジャンクスポーツ」は見ますが、
松本人志第一回監督作品「大日本人」は怖さもあってまだ見ていない、そういう感じのファンです。

 さて、未見の「大日本人」についてです。インターネットのいいところと悪いところが案の定出て、この作品についてのかなりの悪い評判と一部の高評価も、ダイソンの掃除機といった“くすぐる”小道具等の存在も知ってしまいましたし、大体のストーリーも、最後の「オチ」のつけ方までなんとなく想像できるくらいの知識は良くも悪くも得てしまいました(って自分が情報拒否しなかったからですけど(笑))。

 それにしても、問題はおすぎ氏です。
 映画を批判するのは当然あっていいのです。ダメ映画、クソ映画だと感じたら、映画評論家であるならばとことんそのことについて批評すべきです。「大日本人」については、今のところあまり芳しい評価を聞かないから、おすぎ氏がそれを批判するのもわかります。
 しかし、です。
 おすぎ氏の語彙も教養も、映画「評論家」としては、あまりに貧困に過ぎるのです。あまつさえ映画でなく監督なり誰なりの人間性まで攻撃し始めることもしばしば
 例えば、今回で言えば、http://osugi.tol-blog.com/article/54063682.htmlがそうです。

松本人志監督の「大日本人」、映画さえ作らなければ“天才”と思いこませていられたのに…。
映画以前の姿勢の問題でしょうね。特にラストのシークエンスを見て何が起こったのか理解不能に陥りました。この方は多分“病気”か“神がかり”なのだろうと、そうなら納得もいくのですが…絶句でした。

 雑文の類ではありますが、おすぎ氏のそういうところが如何なく発揮されています

 おすぎ氏は、いつも「面白い」「つまらない」、「好き」「嫌い」、「きれい」「汚い」、「あそこが良かった」「ここがひどかった」、「今まで見た映画の中で一番○○」……そんなのばっかりです。そこに「考察」というものがまるでないのです。

 結論、おすぎ氏は、「映画評論家」ではなく、「映画愛好家」です。