小倉問題にみるビートたけしと太田光、彼我の差。
少々、前置きが長くなる。
私は、爆笑問題が、まだ「爆笑! 時事問題」と名乗っていた頃から知っている。
Wikiには載っていないが、確かにそう名乗っていたはずだ。爆問マニアの方々の間では常識なのだろうけれども。
「GAHAHAキング」で10週勝ち抜きした中の「土星ネタ」には、最高に笑わせてもらった。素晴らしいネタだったと素直に思う。そのときの審査員の一人であった島田洋七さんが、「ダウンタウンをすぐに超えちゃうんじゃないかと思うわ」云々と話していたのも昨日のことのように覚えている。
思想家・西部邁さんが、「爆笑問題のピープル」に収録されているスカパーの番組での対談の中で「前からあなたたちの漫才を面白いと買っていた」といった発言をしていたのも、この頃を指していたのだと思う。
ここで、はっきり言ってしまえば、今の爆笑問題よりもこの頃の爆笑問題の方が私は好きだった。
今も、決して嫌いではない。爆笑問題が出ている番組は結構見ている方だと思う。
しかし、である。
個人的には、誤解を恐れずに率直に言えば、今の太田光には、全盛期のビートたけしさんを10倍に稀釈したかのような、立川談志さんを3で割ったかのような、そんな印象しか抱けていない。
あとは、「何を言い出すかわからない」とか「突然、己語りを延々とする」といった「キャラ立ち」には成功しているかなあ、といった程度だ。
線が細いなあ、といった感が否めないのだ。たけしにあった太さや深さを感じることができないでいる。
その意味では、露出度から何からまるで比べものにはなっていないが、浅草キッドの方が、「ビートたけしチルドレン」としては、しっくりくるというのが、現時点での私の感想だ。
さて、そこで、今回の「たけしの日本教育白書」における太田光・小倉智昭問題についてである。
その中身については、今更、説明する必要もないだろう。
日刊スポーツでは、高田文夫さんが、「爆笑問題と浅草キッドがいる限り、関東のお笑いも安泰である」といったことを書き、この太田の言動について、「太田光の芸人としての覚悟を見た」旨、書いていた。
高田文夫さんの眼力に難癖をつける気は毛頭ないし、そんなことができるほどの知見も持ち合わせていないが、今回の問題については、私は、高田文夫さんの論に賛成できない。
なぜなら、太田のこの不規則発言に、私は「全く笑えなかった」からである。
私だけではない。たけしさんのフォローでどうにか救われたものの、あのどん引きの空気を作り、小倉さんの顔を引きつらせることが、果たして「お笑い」と呼べるのだろうか。「芸」と呼べるのであろうか。
確かに、小倉さんは、週刊誌等の追求に対して、カツラを着用していることを暗に認めるような発言をしていた。目の無くなった人の義眼と同じではないかと語っていたこともあった。
その半ばのカミングアウト(と言えるのか?)もあって、たけしさんも深夜の番組でほのめかしの替え歌のギャグにしたりということもあった……というか、この件に限らず、たけしさんの数々の発言の毒舌度・暴言度は、太田と比べるべくもないほど枚挙にいとまが無い(笑)。
しかし、たけしさんのそれには、確かにそこに「笑い」があった。「芸」があった。そして、TPOに応じて機敏に空気を読み、その場に応じた表現をするといった「嗅覚」とでも呼ぶべきものがあった。
高田文夫さんと違って、私は、こうしたたけしさんにこそ、「芸人としての覚悟」を見いだす。
小倉智昭さんは、番組当日の午前中の番組「ハッケン!」で、「爆笑問題の太田君なんかは真剣に教育問題について考えているようだから楽しみだ」と品川祐さん達に語っていただけに、気の毒なことになったと哀しい気持ちになった。
芸人が、気の毒感を抱かせるようじゃダメでしょう。
求! 猛省>太田さん。
追記:たけしさんの「ブリヂストンって書いてあった」には爆笑した(笑)。