津川雅彦さんの映画論は完全に間違っています。
津川雅彦が解説。邦画とアニメ、なぜ世界でここまで差がついたのか
北野武監督をくそみそに貶していた津川雅彦さんの言のおかしさについては、昔のエントリでも書きました。
先日のエントリで、イーストウッド『アメリカン・スナイパー』の評を書いて、自信が無くなったので、またぞろ映画の話とは気がひけるのですが、上記、津川雅彦さんの大上段の物言いには正直呆れてしまいました。
津川さんの映画論・映画観、べき論は、言ってしまえば、
という極めて「新自由主義的な」狭量なものです。
津川さんによると、“映画とは芸術ではなく娯楽=ハリウッド的なものでなければならない”んだそうです。
これが如何におかしいことかは、書籍を例にとれば簡単に分かります。
書籍でいえば、津川さんの言い分は、「書籍は漫画。純文学は認めない。売れたもん勝ち」と仰っているようなものです。
しかし、書籍には、売れに売れまくるマンガもあれば、純文学もあり、エンタメ小説もあり、ジュヴナイルもあり、絵本もあり、果てはポルノ小説もあり……という非常に幅の広い、懐の広いものです。
これを「漫画しか(あるいはラノベしか?)認めない!」などと言う、なおかつそう教育する、というのが暴論・暴挙に過ぎないことは論を俟ちません。
本に当てはめればすぐにわかるような無茶苦茶な映画観を他人にまで押し付けるのは、酷い言挙げだとしか思えません。
そして、津川さんご自身が満を持して監督された作品群は、果たして「世界で売れた」「大ヒット」となったのでしょうか? 寡聞にして存じ上げません。
映画の良し悪しなんていうものは、興行成績だけで語れるものではありません。非常に私的なものでもあります。
私は、『ダイハード』のようなバカ映画(褒め言葉)も観ますし、津川さんが口を極めて罵っている「芸術映画」だって観ます。大笑いして、しかし次の日には内容を忘れているような映画もあれば、心の奥に感動と共に、賛嘆と共に、ひっそりしまっている映画もあります。
それがわかっているので、津川さんのような映画観に縛られたくはないのです。