『アメリカン・スナイパー』は綱渡りを失敗していると思う

遅まきながら、クリント・イーストウッド監督作品『アメリカン・スナイパー』をレンタル、TV画面で拝見しました。

許されざる者』や『グラントリノ』等々、淡々と物事を描写することで言外に何かを訴える作品を撮ることに長けた名監督だと思いますが、今作は、その綱渡りに失敗していると思います。

(例えば『火垂るの墓』と同じように)「大局的な視点でなく、あくまで一個人の視点で撮った作品だ」と言う人も多いでしょうが、演出・描写等は相変わらず見事ながら、この作品を観た人のどれだけが「言外」を感じ取れるのか、果たしてその「言外」は正しいのか、非常に疑問に思います。

9.11をテレビニュースで観た主人公が、どうしてイラクに赴くのか、そこのすっとばし方にはなんにも描写はありません。

味方の死を「劇的に」扱いながら、相手を蛮族呼ばわりさせます。
確かに、主人公が子どもを撃つ場面等々で、主人公の内心の葛藤を描写してはいますが、アメリカの絶対善というドグマを疑う心理は最後まで出てきません。
ただ、主人公の弟の台詞「こんなところ(イラク)くそくらえだ」や妻の出征反対の声、帰国後の主人公の精神の病み方を描写しますが、はてさて、綱渡りは成功しているとはとても思えません。

本編だけを観たどれだけの人が、主人公に感情移入する以外の何が出来たのか、疑問に思います。

もちろん、シナリオライターの書いたことを監督しているだけですし、本作以外のイーストウッド作品も(『硫黄島からの手紙』等)あるので、イーストウッド否定はしませんが、本作の出来は? と訊かれれば、「うーん……」です。

一言で本編を観ただけで感想を言えば「アメリカーン」な映画でした。アメリカ国内で上映されたときの劇場の「興奮」や(ラスト後の)「哀しみ」が伝わってくるようです。

追記

どうも偶然同じ時期に観た藤井聡先生と感想が真逆になってしまったようです。
私にリテラシーが足らなかったでしょうか……。

https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/707620852672194