ビートたけし『テレビの檻』論を水道橋博士メルマ旬報から考える

昨年末30日、テレビ朝日で『ビートたけしのいかがなもの会』という単発番組が放送されました。

ビートたけしさんとマツコ・デラックスさんががっつり出突っ張りでトークをするという、考えてみると非常に珍しい嬉しい組み合わせで、他にも毒舌で現在売れっ子の坂上忍さんなども出ていて、面白い番組だったのです。

面白かったのですが、しかし、たけしさんが「あまり喋らず」聞き役に回っている感じのオンエアで、しかも、尺が足りなかったのか、最後は「本日のおさらい」というハイライトシーンでお茶を濁す、というなんだか妙な編集になっていたのです。

私は、昨今は『TVタックル』でも政治的な発言を嫌い無口なことが多いたけしさんでもありますし、他番組でも――鶴瓶さんとの番組など例外を除き(昨年末はその番組も無かった)――近年、「口数がどちらかというと少ない」イメージがあるので、「ああ、今のたけしさんは精神的なバイオリズム(?)が谷の時期なのかな?」と勝手に思っていました。

それも間違いではないのでしょうが、しかし、その後、配信された水道橋博士のメルマ旬報を読んでびっくり。博士は同番組に出演していたのですが、その博士の、収録したときの記述、感想を読むと、(転載はできないのですが)「殿の横綱相撲だった」旨、書かれているではありませんか!

もっとも「オンエアはどうなるか」というようなことも書かれていたので、「ああ、たけしさんもしゃべりまくったんだけど編集でがっつりカットされたんだ」と納得した次第です。放送できる内容ではないと編集するときに考えられてまるまるカットされたのでしょう。「ピー音」を駆使したりしてなんとかならなかったのか、とも思うのですが……。

たけしさんも、昔から、こういう編集で自分の発言がカットされることはギャグにしているくらいですし、鶴瓶さんとの番組でも「前回のオンエア、見たよ。全部カットされてたじゃねーか」と言っていたこともあるのですが、ここで思い起こしてみたいのが、たけしさんの持論、『テレビという檻の中の猛獣』論です。

以前、あちこちで何度か語っていたこの論、謙遜もありつつ言っていたのが、「俺のことをよく『毒舌』『何をするかわからない』『危ない』という人たちがいるけれども、俺はテレビという枠から決してはみ出さないからテレビに出ていられる。『檻の中の猛獣』であって、本当にアブない野生の猛獣は、そもそもテレビに出られないよ」というものです。

そこで思い出されるのが、昨今のテレビの「自粛傾向」です。

イムリーな話でいえば『明日、ママがいない』の話がありますが、これは私は見ていないのでここで言及することは控えます。

これもタイムリーな話ですが、先日逝去されたやしきたかじんさんが「東京にネットすると言いたいことが言えなくなる」という理由もあって、『たかじんのそこまで言って委員会』などを決して東京で放送させることがなかったことなどもありました。

他にも、「とんねるずのみなさんのおかげでした」で、ずんのやすさんが腰椎骨折して雪上運動会の企画そのものが無くなったり、素人が模倣して事故が起き「落とし穴どっきり」の『全落オープン』が無くなったり(落水の企画は一回放送された)、挙げれば、テレビ局の自粛・萎縮傾向は枚挙に暇がありません

ここで、たけしさんです。

たけしさんは、前述のように例外はあるものの基本的にご自身の出演番組のオンエアは見ないと公言しています。ディスカバリーチャンネルとかそっちの方ばかり見ているということも仰っています。

仮説ですが、たけしさんは、ここまで近年ひどく編集が萎縮している――つまり、「テレビという檻」の大きさが急速に小さくなっていっているという状況をつぶさにはご覧になっていないのではないか、と考えるのです。

もはや、地上波テレビという「檻」は、猛獣が収まるサイズですらなくなっているのかもしれません。

それは「退歩」だ、と言ってしまっていいかと私は思います。

東京MXテレビなどが元気なのがその証左のひとつではないでしょうか。

こんなネタ、今はとても放送できないだろうなあ。当時の観客は大爆笑でしたが今の『笑っていいとも』あたりの観覧層だと、普通にヒクんでしょうね。面白いのに。