落語・立川談志本を水道橋博士のメルマ旬報、杉江松恋の文にあてられて読み耽る

私は落語のことに明るくありません。演目についても落語界についてもその歴史についても。
ほぼ全く知らない、と言ってもいいくらいです。

何冊か入門本を読んだことがあるのと、尾瀬あきらさんのマンガ『どうらく息子』を読んでいる程度です。

さすがに『笑点』を観て落語を知った気にもなれませんし(笑)。

勝手に、落語には、サゲからなにから「駄洒落」がつきまとっている印象があって、それが苦手だったというのもあります。

立川談志さんのことについても詳しくは存じ上げませんでした。

談志さんの没後に談志さんの著書も何冊か読んでいますが、それくらいのものです。

以前にも書きましたが、私が物心ついたときには、既に、談志さんは、「テレビの売れっ子」ではなくなっていましたし、たまにテレビに出たり取り上げられたりしても、「奇矯な言動をするアブない人」という扱いでした。

ただ、ビートたけしさんがリスペクトし、爆笑問題太田光が慕っている「希代の落語家」立川談志――実際にどうだったかは議論のあるところらしいですが――というパブリックイメージは自分も抱いていたように思います。

談志さん最晩年の、思想家・西部邁さんとの交流も印象的でした。落語を知らない西部邁さんが「尊敬する人」として、談志さんを挙げていたのです。

ともかく、そんな私が、立川談志さんの没後2年、立川談志本をここへきて4冊もまとめて読んだのは、水道橋博士のメルマガ『メルマ旬報』の中の執筆陣のひとり、杉江松恋氏が、数回にわたり、ものすごい熱量で、立川談志のお弟子さんたちの手による書籍をそれぞれ詳らかに紹介していたからです。

その熱量にあてられて、そこまで言うなら読まねばなるまい、となったわけです。これを読まなきゃ男がすたる!



立川談慶『大事なことはすべて立川談志に教わった』★★★

(決して悪い出来ではありません。落語を知らない人にも理解できるように懇切丁寧に軽妙な文体で様々な余韻あるエピソードを語りかけてくれています)

大事なことはすべて立川談志に教わった

大事なことはすべて立川談志に教わった


立川談之介『立川流騒動記』★★★★

(書名の通り、立川流発足前から現在に至るまで間近で見てきた著者の証言です。石光真清『城下の人』四部作級の、と言ったらスケール的にももなにもかも言い過ぎですが(笑)一級資料と言えるのではないでしょうか? 談志さんに関する記述は少なめですが晩年の談志さんの芸に対しても立川流の後進に対しても同窓の志の輔さんに対しても二世落語家に対しても昨今の落語ブームについても遠慮が無いです。(ちなみに私はこの書に書かれているとおりの理由で円丈さんのことが嫌い派です(笑)。ガキの頃ゲーム雑誌を後ろ足で砂をかけるようにして去って行ったのを読んだ頃から)

立川流騒動記

立川流騒動記


立川談四楼『談志が死んだ』★★★★★

(談志さんの人となり、個人史に関して最も細やかに活写されているのが本書でしょう。良いも悪いも関係無く忌憚のない記述と舌鋒の鋭さ、感受性の豊かさが横溢している内容で紙幅が費やされています。筆力に感服です)

談志が死んだ

談志が死んだ


立川生志『ひとりブタ』★★★★★

(笑えるエピソードも交えながら、談志さんの晩年にかけての心の闇、ブレる言動を目に映るように描写しています。といっても談志憎し、だとかダークな怨み節では決してありません。「親」や「身内」を「しょうがないなあ」と許容する境地に似て。談志さんという存在の清濁併せ呑む、といった感じ。真打ちが決まってからの明るい筆致がカタルシスを与えてくれました)

 その夜、打ち上げの残念会のあと、志の輔師匠と二人きりになった。
 あれだけやったおまえを認めないと言う談志(ししょう)がわからない。もうなんにもわからない。いったいああまでして、談志(ししょう)に何が残るんだ。何のメリットもないはずだ。今夜のおまえのあの芸を認めないというなら、立川流の基準もおかしいだろ。
 そんな風に言ってくれた。志の輔師匠の言葉は大きな救いだった。

……そして、紆余曲折を経て、生志さんの真打ちが決まったとき、電話口で泣いて喜んでくれたそうです。その文章は実際に読んでみてください。

ひとりブタ: 談志と生きた二十五年

ひとりブタ: 談志と生きた二十五年


落語のことも立川談志のこともよく知らない私には、上のどの一冊が欠けてもいけなかったでしょう。

この4冊を読んで、私の脳内に、「立川談志」という人物が、色彩を帯びて、立体感を持って、人間くさい実像として浮かび上がってきました。立川流の内情についても同様でした。


落語家・立川談志、人間・立川談志の「癌という病」の裏に貼り付く「心の病」、「矜持」の裏に貼り付いた「怯懦」、「孤高」の裏に張り付いた「理不尽」、――立川談志という人間の「わけのわからなさ」が、これでもかというくらい強烈に胸に迫ってきます。

それはイコール「人間」という存在そのものの、あるいは「人間関係」の在り方そのものの「わけのわからなさ」なのです。

文章を読むにつれ、一冊を読み終わるにつれ、響きは大きなものになりました。

そして、私は、立川流が好きになりました。

落語ファンならずとも、この人間曼荼羅には何かしら考えさせられるものがあるはずです。必読!

蛇足:談志さんの落語の評価は玄人筋、落語家さんや落語ファンの間でも様々なようですが、立川談四楼『談志が死んだ』に、山藤章二さんのピカソと談志さんの相似点を述べた言葉を引いて、こんなくだりがありました。

まさしく我ら四人は写実の時代の談志に魅入られ、その門を叩いたのだ。
少なくとも立川流となるまでは、上手くなれと教育された。ちゃんとしろ、きちんとやれ、型を崩すな、プロの口調をと言われ続けた。
「『伝統を現代に』だったもんな」
「そうだよ。それが『落語は人間の業の肯定』ときて『イリュージョン』だもんな、参るぜ」

(前略)客層はだいぶ様変わりした。
 山藤顧問言うところのピカソ現象だった。ついていけない客がいたということで、しかもこの現象は弟子にも当てはまった。久々に“ひとり会”に顔出しをして、なんだこの『粗忽長屋』は、『二人旅』の変わりようは、と驚く古参の弟子が続出したのだ。
 昔オレに教えたことと、今やっていることが違っている。マクラでは意図的に崩してみせる傾向はあったものの、作品に入ればきっちりと、飛びっ切り上手く演ずるあの談志はどこへ?
 二〇〇七年と一〇年の『芝浜』を聴き、昔の師匠は上手かったと龍志が言ったのは、立川流以前の弟子の共通した思いだった。二〇一〇年の『芝浜』はもちろん、〇七年の伝説の『芝浜』も、技術的にはいい出来ではなく、下手である。セリフは噛む。上下を間違え、妙な間さえ空く。これを落語家は下手と呼ぶのだ。
 しかるに会場の感動はどうだ。居合わせた観客の誰もが〇七年の『芝浜』はよかった、感動した、神が降りたと称え(後略)

ネットで以前、「談志なんか下手くそだ!」と罵っている落語ファンの文章をお見かけしたことが思い起こされました。おそらくは「写実の時代の談志」を知らない若い世代の落語ファンだったのだと思いますが、実際には、色んな談志さんがいて、それぞれの時代の談志さんのファンがいて、巧拙を語っている……落語ファンの間ではそんな感じなのでしょうか。

「俺の理論もあくまで仮説だ。俺を凌駕する理論、持ってこい。いつでも受けてやる」

by 立川談志立川談慶『大事なことはすべて立川談志に教わった』より)