「思想家」と「実効性」

 「朝まで生テレビ」がつまらなくなったと言われて久しい。
 理由は簡単だ。あの法律のここをこうしたら……とか、あのシステムはこう改革したら……などという枝葉末節の議論が、政治家ならぬ「現実『主義』」者」たちの間でごにょごにょと行われ、そこから、「実効性」を取り除いた「本質論」を巡っての侃々諤々が消え失せたからだ。己の哲学を巡ってぶつかり合うことも希薄になってしまった。
 左も右も関係なく、いつもこの調子である。

 呉智英は、前掲「サルの正義」の中でこう言う。

実効性を顧慮しない暴論を吐くのは、思想家の特権である。いや、特権であると同時に責務でさえある。実効性にとらわれて暴論の一つも吐けない思想家など、三流の現実主義者の前に膝を屈するがいい。


 私は、全面的に賛成する。