TVタックルからあの戦争を。田母神俊雄の考え方の矛盾に理路を通す―西部邁流に

昨日、寝ながら「ビートたけしのTVタックル」を見ていたら、またぞろ靖国問題をやっていました。

「教えて極論!靖国問題」というやつです。

靖国問題については、既に素晴らしい論考を中野剛志さんが『三橋貴明の「新」日本経済新聞』で、川端祐一郎さんがASREADで書かれています。

川端さんの論考は以下。平衡感覚のある明晰な文章です。

「国家の輪郭」としての靖国神社 ― 首相の靖国参拝に求められる「論理」について(川端祐一郎)
http://asread.info/archives/332


私は、まったく同感です。というより、目からうろこが2、3個落ちました(笑)。

で、靖国問題はともかく、上記番組では、案の定、さきの大東亜・太平洋戦争の話にもなりまして、

田母神俊雄さん「あれは侵略じゃなかった」
誰やら「中国を攻撃したのは(事実関係をうんたらかんたら)ですよ? どう考えたって侵略じゃないですか」
田母神さん「だからそれは相対比較として言っているんであって、同じことは欧米もやっていた」


「危険思想」と思われるのを承知で言うと、どちらかというと田母神さんの歴史観には近い部分もあるのですが、上の田母神さんの答え方は、論理的整合性がとれていないと言わざるを得ません。

以前のエントリで、このあたりについては書いたのですが、よく知りもしない勝谷誠彦さんの、『そこまで言って委員会』降板に絡めて書いたので、ぐだぐだになってしまいました。

改めて書くとこうです。

朝まで生テレビ』で、田原総一朗さん司会、勝谷誠彦さん、小林よしのりさんが同席した回で、以下のようなやりとりがありました。

太平洋戦争(大東亜戦争)を巡り「日本は正しい戦争をした」と勝谷さん、小林よしのりさん共に主張されたのですが、田原総一朗さんに「でも、日本は中国を侵略したじゃないか?! あれは侵略じゃないんですか?! どうなんですか?!」と攻め込まれ、勝谷さんは二の句を継げなかったのです。小林さんも何も口をはさみませんでした。いわゆる「絶句」ですね。

「日本は正しい戦争をした」−「でも侵略は悪いことだ」、この脈絡を通すことができなかったのです。

こういうとき、私は、西部邁さんの文章にあたることにしていました。


戦争謝罪発言への憂慮(九四年一〇月)「発言者」抜粋

 (前略)本来、侵略謝罪発言それ自体が、国家意思の表明としては、大いなる錯誤のなかにある。私は、大方の体制派の論客とは異なって、満州事変以来の大東亜戦争真珠湾攻撃以来の太平洋戦争を、ともども侵略であったと認定するものである。ただし、この場合の「侵略」というのは、国家的な決定として最初に攻撃を仕掛けること、それが侵略である、という客観的な意味合いにおいてだ。その侵略が不可避なものであっても挑発されたものであっても、ともかくみずからが武力攻撃を仕掛けたならば、それは侵略と呼ばれる。その意味において「侵略」を定義すれば、中国大陸にたいしてもまた太平洋方面にたいしても、日本が侵略を仕掛けたことは疑いえない歴史的事実といわねばならない。(中略)

 あの戦争を侵略でなかったという人々は、いうまでもなく中国および東南アジアにおいては日本がABCDつまり白人帝国主義諸国の連合によって包囲され、その包囲を解くには武力を用いざるをえないという、世界史の客観情勢があったのだということを強調する。朝鮮半島満州への「進出」についてもしかりであって、ソ連の南下政策を黄人社会の代表として阻止するためのやむをえない行動だったといわれる。また東南アジアにおいては、イギリス、フランス、オランダの植民地政策にたいして日本がアジア解放のために立ち上がるための不可欠の手段が武力行動であったというふうに、あの戦争を正当化する。私はその正当化の論拠を全面的に否定するものではない。100パーセントとはいわないまでも、かなりの割合において、そうした白人文明の帝国主義植民地主義にたいするレジスタンスとして日本の武力行動が位置づけられていたことは確かであろう。しかしながらそれは、私の定義によれば、侵略でなかったということにはならない。いわば「半ば正当な侵略」であったということである。また、そうした世界史的な大きな枠組のなかに日本の侵略がおかれたとしても、武力攻撃を仕掛けられた中国その他の諸国にすれば、日本に対する批判、反発あるいは怨恨が長期に持続したとてやむをえない仕儀といわなければならない。(略)政治的に半ば正当な行為であっても、道徳的には不当とみなされる事柄は多々あるものなのである。

 (略)われわれはそろそろあの戦争は侵略であったということを、言葉づかいの問題としては、明確にすべきであろう。あの侵略は、世界史の成り行きからして半ば避けえざる種類のものであったともいえるが、同時に、日本もまた小なりとはいえ帝国主義国家としての性格をあらわにしており、自国の国益のためという積極的な侵略的意思があったことも否定できるものではない。(中略)また戦争は大規模な武力衝突なのであるから、その過程を微に入り細に入りコントロールしきれるものではない。したがって、その過程に様々な残虐非道もまた含まれていたことを認めるほかない。その意味においてならば、平和主義者が長年にわたって指摘しつづけてきた侵略の悲惨にかんする諸事実は、そのすべてを認めるわけにいかないし、またその指摘に誇大宣伝が多々含まれていたことも確かであるが、「侵略の悲惨」ということそれ自体は事実として承認せざるをえない段階にきているのだ。

 しかし、侵略とそれに伴う残虐行為は、全世界において、おそらくは人類の発生以来、一貫してみられる事実である。日本だけがとりわけて侵略的であったとか、日本人がとくに残虐であったということは、証明されないどころか、むしろ逆のことが明らかになるであろう。日本人よりはるかに侵略的あるいは残虐な行為に走った諸国は、白人諸国にかぎらず無数にあげることができる。それゆえ、もしもあの侵略について日本が謝罪するのならば、同時に、そうした過去を持つ国々に、汝らも日本と同じく謝罪せよと要求するのでなければ、日本人の 人間認識、世界認識が間違っているということになる。おのれの顔を鏡で映してその醜さに首うなだれるのは結構であるが、他者が自分よりも美しいであろうと思いこむのは、小人の劣等感に過ぎない。

 (略)第二次世界大戦終結するまでは、武力行動を仕掛けるという意味での侵略は政治の延長とみなされていた。それが国際社会の慣習として承認されてもいた。もちろん1920年の国際連盟の発足にたずさわったアメリカ大統領ウィルソンなどによって、世界連邦的で平和主義的な路線が進められてはいた。また第一次世界大戦のあまりの残酷に驚愕した多くの知識人たちがコスモポリタニズムやパシフィズムの思想を展開し、 そうした流れのなかで1928年パリ不戦条約が結ばれもした。その条約に日本も参加していたが、しかしながら条約の発案者であるアメリカがそれを批准しなかったし、またその不戦条約は法律の域に達するものではなかった。 つまり、この法が侵犯されたときに、侵犯者にたいしてどういう制裁を国際的に与えるかということについての規定がなかったのみならず、その制裁の段取りについてすら何一つ展望が与えられていなかったのである。つまりパリ不戦条約は世界の一部の国々によるパシフィズムの思想的宣言にすぎなかったというべきであろう。(略)

 つまり、日本の侵略には国際法上の見地からして「法律的」責任などはほとんど一切なかったということを認めなければならない。それゆえ、日本の侵略を裁いた極東軍事裁判も実は裁判などではなかったのだ。あれは、戦勝諸国が敗戦諸国にたいして行った復讐の儀式であり、その裁判が復讐を法的にカモフラージュするためのものにすぎなかったことは今や明白である。(後略)



“あの時代状況においては半ば正当な侵略だった”……こういう(現在という高みから過去を遡及して断罪しようとしない)思考ができる、平衡感覚を備えた西部さんを私は好きなんです。