『ソロモンの偽証』第三部感想・宣伝文句が気に入らないが宮部みゆきの地力を見た。

今日(正確には昨日)12日発売された宮部みゆき『ソロモンの偽証』最終巻・第三部を読了しました。

これまで、宮部みゆぎさんの小説は数々読んできました。間が空いていた期間はあるものの、ごく初期作から読ませていただいています。

確かな文章力とストーリーテリング

高くは評価していましたが、しかし、「ぞっこんに惚れ込んでいる」というほどではないのは確かです。

以前の読書エントリのこのあたりの自分の小説読書傾向

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20100119/1263906572

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20120224/1330072288


を見てもらえば、一目瞭然ですが、自分は、宮部みゆきさんの人間観、人生観、(本来の意味での)世界観にいまひとつ馴染めなかったからです。宮部みゆき作品の底流に(どんなに悪意に満ちた人間を描いても必ず)いつも流れている宮部さんの「性善説」――これだと語弊がありますか――ときに青臭ささえ漂いかねない「母性で世界を包む寛容さ」というべきか、そういうものにいまひとつ得心いかず、没入できなかったのです。

なのに何故読んできたかといえば、上に書いたようにひとえに宮部みゆきさんの職人気質にも似た巧みさ故ですが、そうした確かな構成力・構想力などは本作でも健在でした。

……う、巧いっ!

その筆力に、宮部みゆきというベストセラー作家の地力を改めて思い知らされました。

ただし、第三部の新聞広告にでかでかと書かれた「あなたはこのラストを絶対に予測できない!」との惹句には「絶対に」納得いきません!(笑)。

第二部途中での自分のメモエントリにこう書きました。

宮部みゆき『ソロモンの偽証』第二部途中。

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20121003/1349269328

ミステリーの謎解き的な楽しみは、既に第二部冒頭で和彦の関わり、第二部中盤で放火の件、と早々と強く繰り返し示唆されたので、ほぼなくなりましたね。

そうなんです。(放火のことは第二部終盤で既に伏線を回収していました)公衆電話の件等々も複数回に渡って「背格好が似ている」点など第二部序盤において、すでに作者が目に見える「ヒント」をばらまいていますし、和彦の顔色や具合の変化で、事件との「強い関わり」が、何度も繰り返し示唆されていたのです。現在ではなくバブル期という設定も「携帯電話」を排除するためだろう、との想像もありました。

ラストは、正直、想定の範囲内というか、想定のど真ん中でした。

上記、出版社の惹句のせいで、最後の最後に更なるツイストがあるのかと期待してしまったではありませんか(笑)。

一切、本作に関する情報を仕入れず読み始めたため、第一部から第二部への「大転回」に、「うーん、そうくるかあ」と感じましたし、突然ジュヴナイル風になったなあとも思いました。第一部の流れで第三部まで行ってくれれば、「大傑作!」と言ったかもしれません。

しかし、それでも、なかなかに読ませるいい作品でした。快作です。

匠・宮部みゆき、ここにあり、です。

細やかな筆致と、日常における人間観察力が生きたであろう、ひとりひとりの登場人物に「憑依する」その力量

そう、自分が「いまひとつ馴染めなかった」作家・宮部みゆきの「慈愛」は、本作でもそのままなのです。そのままでありながら、「腕力(かいなぢから)」に持っていかれたという感じです。

相変わらず「前提」がフィットしないので「ぞっこん」になったわけではありませんが、これからも変わらず宮部みゆきを読むだろう、という気持ちになったことだけは確かです。