小林よしのりさんにない「思想の核」

カツトシさんのブログからの孫引きです。

小林よしのり批判・・・〜思想の意義について〜
http://achichiachi.seesaa.net/article/298577498.html

ゴー宣道場・小林よしのりさんの文章より

 「慰安婦強制連行説」との戦いがなければ、現在の日本のナショナリズム高揚のきっかけはなかった。
 アメリカの新聞から「日本は右傾化してる」と書かれる状況もなかった。
 安倍晋三とはわしが「新しい歴史教科書をつくる会」の理事をやってた頃に知り合った。
 亡き中川昭一もその頃に知り合った。
 わしは日本の右傾化の原点からずっと観察してきた。(中略)

 あの頃、再生したナショナリズムは、安倍政権の誕生で結実したかに見えた。
 それがなぜ挫折し、なぜこのようなネトウヨとの連携という歪な形で甦ろうとしているのか?
 「保守」というものの定義が出来なかったことに、大きな原因があるとは思う。
 では、なぜ定義が出来なかったのか?
 オルテガやバークなどの海外の知識人を持ち出して、一部の知識人だけで保守とはなんぞやの定義をひけらかしても、言論オタクを作り出すことしか出来なかった。

 (安倍総理の掲げる)「美しい日本」などという戯れ言が、「下痢まみれの日本」でしかないのは、 もうわからなければならない。
慰安婦問題はなぜ解決しなかったのか?
 https://www.gosen-dojo.com/index.php?action=pages_view_main&active_action=journal_view_main_detail&post_id=1443&comment_flag=1&block_id=736#_736

オルテガやバークなどの
海外の知識人を持ち出して、
一部の知識人だけで
保守とはなんぞやの
定義をひけらかしても、
言論オタクを作り出す
ことしか出来なかった。

「美しい日本」などという戯れ言が、
「下痢まみれの日本」でしかないのは、
もうわからなければならない。


「下痢まみれの日本」はちょっとひどいですね。

それはともかく、自分は既にここ数年、小林よしのりさんの熱心な読者ではありませんが、今の小林よしのりさんは、AKB48と並んで野田首相推しのようです。
民主党政権が誕生することになった選挙のときにも、当時のマスコミの論調が押し並べてそうだったように「民主党に一回やらせてみればいい」が、小林よしのりさんの主張でした。

今でも、(野田さんはTPP推進であるにも関わらず、小林さんが強固に反対しているはずの)野田さんを支持しているくらいですから、言っても詮無いことですが、「民主党に一回やらせてみればいい」の結果が、如何に惨憺たるものに終わったかは、多くの人のコンセンサスを得ているはずです。

それにしても、西部邁さんと袂を別ってからの小林よしのりさんの言論は、ブレにブレているようです。

進歩主義批判」「生命至上主義批判」など、かつて西部さんから学んだ言葉を駆使しながら、しかし本質を捉えない跛行的な足跡をしるしてしまっているように思えてなりません。

例えば、以前にも書いたように、自分は、「女系天皇断乎反対。許すまじ」というスタンスではありませんが、小林さんと新田均さんとの論争は、その論争のやりとりだけをみれば、明らかに小林さんの敗北だったと思います。いや、敗北してもいいのです。「社交」や「議論」において、「勝敗」なんてくだらないことが多いのですが、そのこと自体を自分自身で見つめ直し、詳らかにする必要はあったと思います。

せめて、自分の過去の言説の総括をしてから、前言を翻すくらいの精査はされてもいいんじゃないかと思いますが……。

それにしても、なぜ、小林さんが、どうしてここまでブレるようになってしまったのか。

それは、小林さんの思想に一本筋の通った「芯」がないからです。「背骨」がないからです。

そして、その「芯」や「背骨」がどうして形成されなかったかといえば、小林さんが、

オルテガやバークなどの
海外の知識人を持ち出して、
一部の知識人だけで
保守とはなんぞやの
定義をひけらかしても、
言論オタクを作り出す
ことしか出来なかった。

こういう風に、「思想的思索」を放棄して、「思想的核」を確認する作業を怠り、軽んじていたからではないですか? と言わざるを得ません。

「言葉遊び」ではないのです。まさに、過去の叡智から、いや、失敗からすらも学ぶ「思想的鍛錬」こそが、真に大切なことなのです。己の思想の幹を立派にすることなのです。

確かに、西部邁さんが「西部邁ゼミナール」で、安倍さんに「安倍さんに言いたいことはいっぱいあるんだけれども」と前置きしたように、安倍さんの言動を100%肯定する気は、自分にもありません。
いささか、アメリカニズムへの警戒が薄いのではないか、と思わないでもありませんし、小泉政権を踏襲して行ったことの中には、評価できないこともあります。総裁選の折り、橋下徹市長を「チャーミングな人」と表現したことも引っかかってはいます。

しかし、安倍さんは「政治家」です。例えば「憲法改正」の点でのみ維新の会と連帯する、という選択なども視野に入れておきながら、幅広く構えるのが「政治家」の為すべきところです。

安倍さんを支持した西田昌司さんが、

安倍元総理に支持を!! 維新の会とは一線を画させます

と仰っています。

もちろん、西田昌司さんは、国会議員としては、まだ「若手」ですから、西田さんの思うようにならないこともあり得ます。

しかし、自分は、それでも、現時点においては、安倍総裁誕生、安倍総理誕生は、「次善の善」であると思っています。

その評価が、間違いにならないことを祈りながら、ついでに、西田昌司総理誕生も願いつつ(笑)、弁舌さわやかな小泉進次郎さんを警戒しながら(笑)、今後の政局を見守りたいと思います。