「ジェノサイド」。及第点には至っているが言われるほどには……。

話題沸騰中の高野和明「ジェノサイド」を読了しました。

ジェノサイド

ジェノサイド

私のアマゾンレビュー

評判が高いのを知り、早速読んでみました。
レビューでも軒並み評判が高かったことと、本の帯の絶賛の嵐も手伝って、自分の中で読む前から期待値があがり、そして読了したわけですが、感想を言うと「ふーむ、なるほど。こんな感じか」といったものでした。

高評価レビューの殺到している中、3つ星とはいえ、比較的低い評価のレビューというのは、スルーされやすいものです。誰といって、自分こそが買う側になるとそうなるのですから間違いありません(笑)。

ですから、これは、既に読了した人の中への数少ない同意を求める感想になるでしょう。

まず、言っておきたいのは、この小説は、作者が拒否しない限りにおいては、絶対に映像化・メディア展開されるであろうものだということです。「映像化不可」というより、むしろ「ハリウッド的」といって差し支えないストーリーです。

また、作者の確かな筆力についても賞賛しておかなければなりません。日本語の用法を含めて、作者の腕の程が確かに見えます。

加えて、本小説の中で披瀝される、作者が膨大な資料へあたったであろう、専門的知識の質と量にも敬意を払っておかなければなりません。

それなのに、なぜ、自分は高評価ではないのか。
端的に言えば、「ありきたり」と感じてしまったのです。全体を俯瞰して見たときのストーリーの起伏が、です。

この小説には、様々な顔があるのですが、この点では、かつての船戸与一より遙かに劣る、この点では、かつての逢坂剛に、あの点では夢枕獏に、……といった具合に、その「顔」をひとつひとつ眺めてみると、残念ながら、この作品は、それらを凌駕できていないのです。「こういうのはありがちだけど、あの海外作家たちには到底及ばないなあ」というのもあります。

思想的な浅さ、というのも感じられたのが、いまひとつ感情移入できなかったポイントです。
その「思想」を語るために、都合の良い人物配置が為されていたり、会話が為されていたり、といった点が見えてしまったのです。

及第点には至っている、しかし、それ以上ではないなあ、というのが、自分の読後感でした。

……というわけで3つ星なのですが、ご同意いただけますでしょうか?(笑)