サバイバルゲーム施設建設反対問題について。

サバイバルゲームの遊戯施設の建設を巡って揉めているというニュースを先日耳にしました。

今日も日本テレビの夕方のニュースでその問題を採り上げていました。

私は、そのような遊びは好きでもなんでもないので、とりあえず、それが最終的に建設されるかされないかといった具体的な話にはまったく興味がないのですが、それはともかく、今回のその問題では、一万人を超える反対署名があったといいます。

しかし、そこで使われるモデルガンについては、紙コップを貫通する威力もなく、また不正なものが使われていないか毎回入念にチェックする旨が報道されていました。

コメンテーターの田宮栄一氏は、

逆に考えれば、そういう遊びを公園やなにかでやるより、むしろ、そういう施設の中で、きっちりとした管理の下で行われる方がいいという考え方もある。いずれにしろ、よく話し合って解決して欲しい」(大意)

とコメントしていました。

それももっともな話だと感じました。

また、この反対派の方々の「見出し」的反対理由として「この遊びは戦争ごっこだ。到底受け入れられない」というものがあるそうです。

この問題の細かな事実関係について存じ上げないので、その点に限って考えを巡らせて言わせていただくと、

  • でも、反対しているあなたのお子さんは、例えばTVゲームでその「戦争ごっこ」とやらをしていませんか?


  • でも、反対しているご当人であるあなたは、例えば大河ドラマや戦国時代を描いた時代劇を見て喜んだり悲しんだりして「戦争ごっこ」気分に浸ったりすることはありませんか?


などという思いがよぎるわけですが……。

葬儀場の建設反対問題などには真っ向から異を唱えたいのですが、この問題に関しては、ふと疑問が浮かんだ程度です。

ただ、「ごっこ」というのは、あくまでその字義通り、Play――遊びですよね。それぐらいは別にいいのでは……と感じてしまうのはおかしいでしょうか。

それとも、ラディカルに、TVゲームの戦争ごっこまで含めて卓袱台をひっくり返すか否かですね。