本日の報道2001と西部邁さんの新刊

タバコ喫煙問題

報道2001」で、煙草の値段を一箱千円にするという話が最近出てきている関係で、その是非についての短い討論が行われていた。
 僕自身は喫煙をやめて一年ほどになるし、また喫煙者当人の健康でいえば、また、金銭的問題からすれば、それで良かったのだろう。
 ただ、西部邁氏が「素人勉強ですが……」と断りながら言い、山田良一JT副社長も是認して続いて語ったところによると、最近のアメリカなどでの疫学研究においては、「受動喫煙」の害というのはほとんどないのではないか? という話になってきているという。詳細が語られる時間が無かったのでそこは残念だった。
 僕のような素人には、その真偽、実際のところはわからないが、タバコ悪者論の逆側からのそういう情報がメディアでほとんど出てきていないというのは、なにかむず痒い違和感を覚えないでもない。
 小谷野敦さんなどは、そうした最近の海外の研究までおさえておられるのだろうか。禁煙ファシズム」関連の議論はほとんど把握していないけれども。

西部邁さんの新刊

 しかし、そんな事柄よりも、現在気になっているのが、

妻と僕―寓話と化す我らの死

妻と僕―寓話と化す我らの死

2006年10月、妻が大腸ガンの手術、僕は妻の耳元に「手遅れだったよ」と囁く。
そして昨年12月、転移したガンの10時間に及ぶ大手術を受ける。
死の淵に立つ妻を前に、夫たる著者は、北海道で高校二年生・16歳のとき同年の
妻と知り合ってから現在に至る、半世紀にわたる波瀾万丈の二人三脚の
「連れ合い関係」を振り返りつつ、生とは何か、死とは何か、夫婦とは何か、
人生とは何かを、深く、鋭く、根源から思索する。断筆をも予感させる、注目の新刊。

これだ。