あり得ない「夫婦別姓」論の動機

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150218-00002703-bengocom-soci
夫婦別姓最高裁憲法判断へ「結婚前の姓を使うためペーパー離婚した」原告も期待
<抜粋>

(前略)
●「自分の名前が本物じゃなくなってしまった」

原告の1人であるフリーライターの加山恵美さん(43)は、2000年に結婚し、夫の姓に合わせた。その際、加山さんは「それまでずっと『加山』でいたのに、それが通称になってしまったり、ペンネームになってしまった。住民票の姓が取り消し線で消されたのを見て、自分の名前が本物じゃなくなってしまったかのような、残念な気持ちになった」という。

結局、加山さん夫婦は2004年、もとの姓を使うために「ペーパー離婚」をすることにした。現在は事実婚状態だという。仕事中に連絡を受けて、会見に駆けつけたという加山さんは「ペーパー離婚をしたときには、すぐに夫婦別姓が認められ、また結婚できると思っていたが、10年経ってもそのままだ」と話した。
(後略)

テレビニュースでも同じ部分が使われていて、女性キャスターが同意していましたが、はっきり言って、ありえません。

通称名ペンネームになってしまって『残念な気持ちになった』程度のことを夫婦別姓の根拠としてこの段になって述べるとは……。呆れるばかりです。

通称名使用がもっと自由にできるように法体制を整えることは大事なことです。
逆に言えば、それくらいで解決するようなことを、選択的夫婦別姓などという現行民法に流れる哲学を変えるものを導入するならば、それを超える哲学を述べなければならないはずです。そうでなければ事実婚を貫けばよろしいのです。「残念な気持ちになった」……いやはや。

あくまで「選択式」で、「夫婦別姓」にしたくない人は今まで通りでいいんだからいいじゃないか、という議論がありますが、夫婦同姓の人も、社会に影響が出たときには等しくその影響をこうむるわけですから、そんな理屈は通らないわけです。前述のように民法の哲学を変える論理を語ってくれないことには。

海外の例を持ってくるのももうお腹いっぱいです。
海外のコミュニティーが現在輝かしいものになっているなら、それに倣うというのもありでしょうが、そうではないのですから。

特に、現在日本で言われている「選択式夫婦別姓論」には、個人主義の更なる礼賛という思想がたっぷり塗りたくられて流通しているので気持ちが悪いのです。