今何かと話題の岡田斗司夫さんの『朝生』に関する的外れ

まずはじめに断っておくと、私はもう長いこと、『朝まで生テレビ』をまともに見ておりません。

パネラーの面子の選び方があまりにひどいので見る気をなくしますし、田原総一朗さんも「老いたなあ〜」と感じさせるような存在になっているからです。もうだいぶ前から。

日下プロデューサーが亡くなってからが酷いことになった始まりの気もします。
氏は「西部邁さんの本質論を分からないと」と語っていたことがありましたからね。

その西部邁さんも、「『朝生』での無敵ぶりは凄かったですね」的なことを言われると、ちょっと勘弁して欲しいと思うこともあるそうです。あそこに出てくる人の大半が、自分の言いたいことだけを言って、他人の意見を聞く気がなかったからだそうです。

さて、岡田斗司夫さんです。
彼は、昔、「『朝生』の茶番ぶりはひどい。あれだけやりあって、放送終わった後には仲良く飲み会でもしているんだって(嘲笑)。ひどいよね、なあなあで」といったことをそこここで言っていました。

そのうち、自分も『朝生』に呼ばれるようになって「本当だったよ、放送後の和気藹々のなあなあ(嘲笑)」などと嬉嬉として報告したりもしていました。

その後、その『朝生』で、西部邁さんを小馬鹿にするようなことを言って怒りを買い、番組内で完全にこてんぱんにされてしゅんとしていたのですが、岡田斗司夫さんは、自分が『朝生』に出なくなった理由について、以下のように書いていたそうです。

http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/20101020/1287553657
抜粋

 日本の有識者、とくに「日本の未来、どうする、どうなる」なんて問いかけるような人間は、家庭など持っていなくて当然のようです。よしんば結婚していたとしても、妻や子どもを泣かせて一人前と考えているようなのです。

 もちろん、はっきり面と向かって言われたわけではありません。

 でもあのとき感じたのは、明らかに「家族を大事にする小心者なんか、仲間じゃない」という空気でした。

 そう思うと、あの番組によく出演している有名な評論家の先生たちは、結婚していなかったり、離婚率が高いようにも思えてきます。

 誤解してほしくないんですが、べつに私は「家庭を持っていない男が、一人前の顔で天下国家を語るな」と批判したいのではありません。

 近頃は非婚率もあがってきています。人間の値打ちが結婚しているかどうかで決まる、とも思いません。

 けれども、日本を代表する知識人みんながみんな「家庭なんかどうでもいい」と考えているとしたら、いくらなんでもヘンだと思うのです。

どうでしょう。彼が一番虚仮にしていたと言ってもいい西部邁さんを頭に思い浮かべて上記の文章を読んでみたら、まるで見当外れだと思いますよね。西部さんほど「家庭」を大事にし、その大切さを説いていた人も見当たらないくらいなのですから。

積極的に「天下国家」を語っていた呉智英さんを思い浮かべてもそうです。呉智英さんは、自らの信じる儒教の教えである「孝」の概念を実践し、父親の介護をするために名古屋に戻って看病していました。

っていうか、これ完全に「自分が『朝生』に出なくなった『言い訳』」ですよね(笑)。

それ以前に、岡田斗司夫さんが決定的に「子ども」なのは、「さっきまで侃々諤々、対立していた人たちが酒を酌み交わしている光景」を、「茶番」だと思っているところです。

「オタク」の定義はよく知りませんが、この人は、それ以前に「子ども」です。

討論終了後もいがみあって、罵りあって、捨て台詞でも吐いて、「けっ!」とか言って散会するのが本当だ、とでも思っているのでしょうか?

岡田氏は、本来の「議論のあるべき姿」「社交のあるべき姿」について、なーーーんにも考えたことがないんですね。

もちろん例外はありますが、家庭であれ職場であれ、「議論は議論として徹底的に言葉を交わし、それが終わればにこりと笑って酒でも酌み交わす」――そのような場面が、日本の津々浦々で見られるようになって初めて、「成熟した議論ができる人々」と言えるし、ちょっとはまともな「民意」が形成される契機になるとも思うんですけれども。

そして、岡田斗司夫さんは果たして「家庭を大切に」していたのでしょうか?