レーザービームという言葉
イチローが好きである。とにかく好きだ。
トップアスリートとなった選手が、例えば、イチローがそうであるように、野茂や中田たちがそうであるように、何故マスコミ嫌いになるのか? という点についてはちょっと思うところがあるけれど、それはまたいずれ。
それはともかく、そういうイチローが実はほがらかな熱い人間であることは、WBCや清原和博の証言を待つまでもなく、毎年恒例となっているテレビ朝日放送のイチロー番組で明らかであった。
今年も本日放送された「『イチ流』〜そして男は伝説となった〜」を観た。
やはり義田貴士と触れあうイチローは素のイチローが出ていていい。
ハンカチ王子こと斎藤佑樹の人間性を「プロの選手も見習わなきゃ。僕だったら舞い上がっているところですよ」ととにかく絶賛していたのが印象的だった。
で、話は「レーザービーム」という言葉についてである。
イチローのあの伝説の捕殺のアメリカ実況者による発言からこっち、日本のプロ野球でも捕殺がある度に「レーザービーム」が連呼される。
例えば鉄砲肩で知られる新庄の見事なストライク返球捕殺なども「レーザービーム」。
しかし、違うでしょう?
レーザービームというのは単なるストライク返球を指すのではなく、山なりでないほとんど一直線とでもひょうすべき、高さの頂点の高くない文字通り「レーザービーム」のような返球を指すはずだ。その点、イチローの捕殺はいつも美しい。
確かに、素晴らしい捕殺は数あれど、なんでもかんでも「レーザービーム」連呼の日本の実況アナウンサーはちと勘弁。
ところで、全然関係ないけれど、「求道者」を「きゅうどうしゃ」とナレーションしてたので「それを言うなら『ぐどうしゃ』でしょう。日本語の不自由な自分が言うのも変だけど、より多くの人が関わりより多くのマスに向けて発信されるTVでそれかい……と書こうと思ったら、広辞苑にはどちらも載ってますね。そうなのか。