佐伯啓思『経済学の犯罪』は必読の書である。

本書は、佐伯啓思さんの著作の中でも代表作の一冊となるでしょう。

「失われた二十年」、小泉政権をはじめとした構造改革推進の誤り、竹中平蔵の出鱈目、市場原理主義の迷妄、そして経済学者たちの犯罪的な言論、経済学の跛行……これらが、非常に平易に、しかし極めて論理的にあますところなく語られています。

佐伯啓思さんは、短文では、TPP問題などに絡めて、この種のことをあちこちで書かれてきました。
代表して挙げれば、平成23年12月19日付の産経新聞に掲載された「日の蔭りの中で――いかに国益を増進するか」という文章でしょう。

 1日付の本紙「正論」欄に竹中平蔵氏がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)賛成論を展開し、その中で次のように述べておられる。TPPへの交渉参加は当然であり日本にはそれ以外の選択はないとした後で「自由貿易が国民全体に大きな利益をもたらすことはアダム・スミスの『国富論』以来、世界が経験してきた共有の理解だ。日本自身これまで自由貿易で最も大きな利益を得てきた国の一つといえる」と。このたった数行の短い文章を読んで多くの人は腑(ふ)に落ちるのだろうか。私はたちどころに4カ所も引っかかってしまう。随分と乱暴な議論だと思う。
 第1に、「自由貿易が国民全体に大きな利益をもたらす」という命題。これがほぼ机上の空論であることはいまさら言うまでもなかろう。まず、現代のあまりに金融経済が肥大し、技術移転が容易になったグローバル経済と自由貿易体制とは大きく異なっている。しかも、それが「国民全体」の利益になる、などという理屈はどこからもでてこない。そもそも「国民全体の利益」とは何なのだろうか。
 第2に、この命題はアダム・スミスが述べたかのように書かれている。しかしこれも決して正しくはない。「国富論」を少しでも注意深く読めば、スミスが決して単純な自由貿易論者ではないことはすぐ分かる。スミスは当時のいわば金融グローバル化政策というべき重商主義に反対したのだった。彼は、自由貿易にすれば、投資家はまずは国内の安全な産業に投資をするので国内産業が活発化する、といったのだ。
 第3に、「(これは)世界が経験してきた共通の了解だ」という。あれこれ述べる必要もなかろう。自由貿易が世界共通の了解だ、などということはありえない。中国はどうなのか、ロシアやインド、ブラジルはどうなのか、アラブはどうかなどという疑問はさておいても、先進国でさえも、イデオロギーはともかく実際には決して自由貿易を共通了解にしているわけではない。もし暗黙の共通了解があるとすれば、それは、広義の自由経済の枠組みを守りつついかにして戦略的に国益を増進するか、という点だけである。
 もしもそれが「世界の共通の了解」になっているのならば、どうしてWTO世界貿易機関)がうまくいかないのか。WTOがうまくいかなかったからこそ、FTA(自由貿易協定)や今回のような地域的経済連携がでてきたのではないか。
 しかも、TPPは決してグローバルな自由貿易ではなく一種のブロック経済である。だからこそ推進派のかなりの人が、中国を政治的・経済的に封じ込めるべきだ、という。竹中氏自身は封じ込め説ではないようだが、それでもTPPの基礎に日米同盟があると書いておられる。つまりTPPとは政治的・経済的ブロックだと言っているのである。
 第4に、「日本はこれまで自由貿易で大きな利益を得てきた」という命題。これも決して無条件に正しいわけではない。日本が閉鎖経済でもなく社会主義でもなく、広い意味で自由経済圏にあり、そこに戦後日本の経済発展の基盤があったことは事実であり、そんなことを否定する者はいない。

 自由経済圏にあることと、徹底した自由貿易や自由競争をすることとは違っている。両者をあまりに安易に重ねてはならない。
 しかも、もしも日本がこれまで開かれた自由貿易によって利益を得てきた、というのなら、この十数年の構造改革グローバリズム論はいったい何だったのだろうか。この十数年、「改革論者」は、ひたすら日本は閉鎖的で官僚主導的で集団主義的で真の自由競争をしていない、グローバル化していない、と批判してきたのではなかったか。だとすれば、戦後の日本の経済発展は、自由競争やグローバル化を制限していたがゆえの成果だといわねばならないことになるはずだ。実際、1980年代末には、「日本の奇跡」の理由は、その集団主義や官僚主導経済に求められたのであった。
 竹中論文の趣意は「TPPが国民皆保険を崩す」という議論への反論なので、上に述べたことはいわば「枕」である。とはいえ、この「枕」に書かれていることは、TPP推進派の典型的な論拠なのである。別に竹中氏に限ったことではない。
 私はいま竹中氏を批判しようというのでもないし、TPP反対論を唱えようというわけでもない。この点は前回のこの欄に書いた。ただ問題は、TPP推進論の背後に上のようなきわめて雑な自由貿易論がある、ということが気になるのである。いわば、「開国イデオロギー」というようなもので、それは次のように述べる。「世界中で自由貿易グローバリズムが受け入れられている。日本だけが遅れている。もはや選択肢はありえない」と。
 竹中氏は同論文で次のようにも書いている。「内閣府の試算でも、参加が日本経済にとって全体としてプラスに働くことが明らかになっている。国民の大多数がTPPに賛成し、大新聞の社説のほぼすべて参加に賛成…こうした状況下で交渉に参加しないといった選択肢はあり得なかった」と。
 これもあまりに乱暴な議論だ。参加が日本経済にマイナスを及ぼすという試算もある。それに、これからルールについて交渉するというのだ。まだルールができていないのにどうやって確かな算定ができるというのだろう。また、世論調査では国民の半分近くがTPP慎重論である。大新聞の社説などというものが何なのであろうか。これも竹中氏に限った話ではない。この種の議論が横行しているのだ。このようなあまりに粗雑な議論こそが、賛否どちらであれ、TPPについてのまともな論議をさまたげているのである。(さえき けいし)

こうした的確な指摘を詳細にロジカルに論じ尽くしたのが、本書『経済学の犯罪』なのです。


中野剛志『レジーム・チェンジ』とあわせて、絶対に読まれるべき本でしょう。

レジーム・チェンジ 恐慌を突破する逆転の発想 (NHK出版新書)

レジーム・チェンジ 恐慌を突破する逆転の発想 (NHK出版新書)

二人の師、西部邁さんの思想の経済学に関する方面での結実が、この2冊だと言って差し支えないと思います。

必読の書です。是非ご一読を。